7泊9日のスイス旅行に行ってきた。4年ぶりの夫婦旅行である。
スイス2泊、ドイツ3泊、スイス2泊で少々慌しかったが、ウェルナーの見舞いという目的は果たした形だ。
ハイデルベルグへの日帰り旅行では、哲学の道まで久しぶりの登山(の真似事程度)をしたが、
それ以外は常と変らずの、卓文さん『マスオさん状態』の日々で申し訳なさが残る。
次回からは、3年に一度は卓文さんとの欧州旅行に2泊程度のスイス滞在、という形にしよう、と考えた。
そうすれば、ノルウェイ、スペイン、イタリアなど、卓文さんが行きたいところと同時に旅行ができる。
そんな提案を帰りの飛行機でしたところ、帰国後の卓文さんは早速スペイン事情をあれやこれや調べて、
フムフムなるほどと、もう次回の旅行の計画を立てそうな勢いだ。
時差ボケもなんとか解消し、明日からは仕事の日々が始まる。
当たり前の毎日がある、ということのありがたさを感じた旅だった。
今週の日曜日、麗さん来日に合わせ、レンタカーを借りて瀬波温泉1泊旅行を計画した。
春に卓文さんと行った村上の『割烹新多久』(しんたく)を、是非とも再訪したかったからだ。
ところが急遽、美保さんも参加することになってレンタカーはキャンセル。
美保さん運転のらくちん旅行にかわって、アッシー眞知子はるんるん。(昼から酒を飲めるぞ)
春の献立は山菜をふんだんに使ったものだったが、秋は何が出るかな、と楽しみにして訪れた。
期待を裏切らない料理だった。初めての美保さん 麗さんも唸っていた。
『ほんとにこれで3000円?』
詳しい献立は、次の機会に披露する予定だ。
というのは、これから荷造りをして明日早朝スイスに行くのだ。
ウェルナーの心臓の手術がどうなるか決まらず、場合によっては中止もあり得たため、
誰にも言わずにいたためだ。
麗さんからメールが届き、無事手術成功、本日午後には面会可能とのことで、
私たちのスイス旅行は、『ウェルナーお見舞い旅行』となった。
先週から急に冷え込み、標高1000m以上は銀世界になったという晩秋のスイスを楽しんでくるつもりだ。
↓の日記を書いたこともすっかり忘れていたほど、お久しぶり。
ようやく卓文さんの翻訳が終わり、この3ヶ月間の激務で、わたしの年収ほどの収入を得た。
よく稼いでくれるご亭主だ。感謝。
そして昨日、3ヶ月ぶりの釣りに行った。穏やかな秋の海。房総まで見通せてのんびりと楽しんだ。
釣果はぱっとせず、9時間粘ってたった5尾だったが、それでも活け締めの魚は絶品で唸りながら食べた。
気候もよくなり、絶好の釣り季節到来だが、来週以降はわたしの休日が卓文さんと合わず、予定は未定。
昨年秋、大漁だったさばを新潟に送って絶賛されたが、その機会がまた今年も訪れるとよいのだが。
12日には麗が訪日。19~20日にわたしも新潟へ行き、レンタカーで村上に1泊旅行をする。
新潟パパは『俺の人生最後の旅行になるだろう』などと言っているが、元気で長寿を祈るばかりだ。
沖縄では、東治が学級委員長になったと任命証付きの写真が送られてきた。
相模原では、彩香が第二児を懐妊の朗報。
一族の未来は明るい。何よりである。
この1ヶ月半、卓文さんの翻訳が忙しく、PCは翻訳マシーンと化していた。
ために、HP更新はままならず、それでも余暇は十分に楽しんで日々を暮していた。
本日訃報が届いた。
仲人っ子にして家族ぐるみ親戚以上の付き合いをしていた、『ねったん』が天国に逝った。
その夫は1年に350日は我が家で飲んだくれ、彼女は我が稼業の事務を一手に引き受け、
その子たちは娘といとこ以上の親密さを築き、我が稼業のバイトで貢献もした。
今の価値観の中、50代で人生を終えるのは無念だっただろうと、
ノー天気な私は久しぶりに落ち込んでいる。
天真爛漫であるがままを受け入れる彼女だったがゆえに、無念さがひしひしと伝わる。
残された3人の家族が、より結束を強め力強く前向きに、これからを歩んでゆくことを望むばかりだ。
合掌。冥福を祈るのみ・・・