30 Dec.

27日に沖縄から娘1号と孫1号2号が来て、28日には娘2号宅で婿2号と孫3号と合流し、ネイル三昧。

娘1号もわたしも、指先がすっかりお正月モードになった。

そしてなんと、娘1号たちを迎えにきた、元『オット』と8年ぶりの再会。

『なんだ~~、いたのかぁ、えれぇババアになったなぁ~~』

・・・・口の悪さは生涯変わらずか・・・・

まぁ、娘たちの父親なんだから、元気そうなのはなにより、と思っておこう。

 

今年最後のフルコマで、卓文さんは今朝6時45分、朝日の昇る前に出勤した。

明日、大晦日のわたしのシフトは『遅番』。昼から22時までの労働で帰宅は23時を過ぎるだろう。

あ~あ、カウントダウン直前に帰宅かぁ・・・と、少々憂鬱だが仕方ない。

明日は3年前に取り寄せて好評だった『ちこり村』のおせち料理が届く。

横浜でのんびりとしたお正月を2日間楽しんで、また頑張って働こう。

明後日の新年になれば、数え歳63歳と68歳になるわたしたち。

仕事があることに感謝せねば。

24 Dec.

11月は、6~13日でスイスへ里帰り。その後の休日はすべてレンタカーを借りて釣り三昧。

12月1日は、娘2号のネイル試験の手モデル、その後の休日もレンタカーを借りてドライブ三昧、

と仕事以外はよく遊んだ2ヶ月だった。

 

卓文さんはおっそろしく難解な学術論文の翻訳がたて続いて2本も入り、

暮れまでは、毎日ウンウン唸りながらの翻訳人生となりそうだ。

 

その間にスイス麗さんが、故郷新潟高田のカトリック教会で、懐かしい仲間とチャリティコンサート。

8泊10日を、成田→新潟→東京→高田→新潟→新横浜、と怒涛のごとく駆け回り各地で大活躍。

新潟パパの『いや~~~あの猛烈なスケジュールにこっちもつき合わされて、くたびれたぞ』

と文句を言う声が、何とも嬉しそうに弾んでいたぞ。

 

きょうは久しぶりの、私ひとりの休日。

朝から、たくあん20本、白菜3玉、の漬物漬け。村上の塩引き鮭をさばき、

松前漬用の昆布とするめをはさみでチョキチョキ。

出勤する卓文さんを見送りついでに買い物に行き、えいやっ!と高い牛肉を買ってきて、

今夜はしゃぶしゃぶクリスマスディナーの予定。

29 Oct.

1ヶ月のご無沙汰。

10月  6日:卓ひとり 鶴見ふれーゆ公園 豆鯵1匹

10月 7日:卓眞で大黒海釣り公園 40cm級のサバ 11本(胡麻鯖・〆鯖・塩焼・味噌煮・甘辛煮)

10月11日:卓ひとり 大黒 大サバ 7本(5本馴染みの寿司屋に贈呈 大喜びされた 2本胡麻鯖)

10月18日:卓ひとり 大黒 大サバ 2本 と 初ヘチ釣りで『メジナ』25cm!!(塩焼 美味!)

10月21日:卓ひとり 大黒 大アジ2本(刺身 美味!) 中アジ5本(フライ 美味!)

10月25日 卓眞 鶴見ふれーゆ公園 小アジ 11本(南蛮漬けにしてある まだ食べてない)

10月27日 卓ひとり 鶴見ふれーゆ公園 ぼーず

10月28日 卓眞 伊豆の木負(きしょう)堤防 ボーズだったが隣の人から3種4本いただく。

 

と釣りバカ状態。

昨日の木負堤防では、左隣りの川崎から25年通っているというおっさんが

『だんご釣り』という方法でクロダイ狙い。ところがマゴチ・ハタ・スズキ・メジナと華麗なる外道。

それもすべて30cm超えの大物ばかりだったが、とうとう本命は釣れず。

その中で、ボラ60cm級・アイゴ25cm2本・メジナ25cmをくれた。

すべてをすぐに絞めて氷絞め、ボラはうろこが臭いといわれうろこもその場で取った。

伊豆長岡のマンションに戻り、メジナは塩焼き、ボラをムニエルと味噌漬けに。あいごは一夜干し。

ボラの旨さにふたりで唸った。淡泊で繊細、しっとりとして旨味もある。

決して上品とは言えないあの顔つきと、うろこのふてぶてしさからは想像もつかない美味。

 

今読んでいる山本一力の時代小説に『江戸時代はボラは高級魚だった』とあるのは本当だったのだ。

昨日の川崎の『師匠』(釣り場で近くのベテランをこう呼ぶと、色々教えてもらえる事を学習済)も、

『東京湾のボラはタンカーの油を飲んでいるから石油臭くて食べられないが、駿河湾のは最高だ』

と言っていたのは本当だったのだ。

昨夜はそういうわけで、いただいた魚づくしの宴会だったが、本日は朝から雨。

早々に伊豆を引き上げ、卓文さんは山積みになっている塾の添削をするために早出出勤。

わたしはひとりのんびりとドライブして横浜に帰ってきた。

富士山にまったく雪が積もっていず、青っぽいまま。もう10月も終わるというのに、温暖化か。

20数年前、山中湖でクレープ屋をやっていたころは、9月末にはもう白い富士山だったのに・・・。

それでも今夜は、季節相応に寒い。湯豆腐でもしよう。

 

 

24 Sep.

9月は私の会社が新製品を売り出すというので、長時間労働の日々が続いた。

その間隙を縫って22日夜21時半出発で伊豆へ。

沼津バーミヤンでつまみ4品を購入、到着深夜24時で宴会開始。

半日前に到着していた娘2号ファミリーは熟睡していたが、娘2号が起き出して宴会に参加。

眠りについたのは2時半をまわっていた。

 

23日8時起床。娘2号と孫3号を残し、卓眞と婿さんとで静浦漁港へ。

連休最終日でもあり、なかなかの混雑だったが、運よく3人並びで場所を確保できた。

2ヶ月前に卓文さんが遠投カゴ釣りデビューし、それを使って婿さんが大型ゴマサバを6本揚げた竿で、

婿さんが3本、私が3本のミニソーダ鰹。

卓文さんはもっぱら釣り上げた鰹の絞め担当で、それ以外はのんびりと海を眺めながら見物。

前回のようにあちこちでポンポン釣れている、という状況ではなく、シブい釣果の人ばかり。

その中で、1mを超える『シイラ』を大格闘の末に揚げた人がふたりいた。

その都度卓文さんは見に行って、『すごい! でかい!』と称賛。

昼過ぎ、近づく台風の影響か横風が強く吹き始め、投げてもどんどん横に流されてしまう。

あちこちでお祭り(隣どうしの人の釣糸がからまってしまうこと)騒ぎが勃発するようになり、

せっかく釣り餌第二弾を開封したのに、と言いつつも諦めて撤収。

合計6本のソーダ鰹は、加食部分としては前回の半分以下だったが、

卓文さん大活躍で5枚におろし、しめて24本のミニチュア背節腹節が出来上がった。

この日のディナーはすし之助で、沼津地魚を堪能。

(婿さんは夕方も釣りを、と期待していたようだが、強風収まらず断念)

 

本日朝食にて釣り上げた鰹の刺身を味わった。

残りは『なまり節』にして横浜行きとし、これからあっさり味とこってり味で煮付ける予定。

昼に娘ファミリーが出発。私たちは午後2時に小田原めざして出発。

卓文さんは小田原でレンタカーを降り、そこから東海道線40分で出勤。

私は小田原厚木道路と東名で横浜に帰宅した。

2泊とはいえ、正味1日半の少々せわしない旅だったが、天候にも釣果にもまあ恵まれて、

また良い思い出がひとつ増えた。

 

 

30 Aug.

8月26日から伊豆に行き、のんびりとした夏休みを楽しんで来た。

静浦漁港で遠投釣りデビュー、35~40cmのソーダ鰹を3匹(+2匹←右隣のおじさんにもらった)!

 

26日

昼で授業の終った卓文さんとレンタカーで伊豆へ。静浦漁港を見学しソーダ鰹が釣れているのを確認。

その後、前から気になっていた、沼津と伊豆長岡の中間にある回転寿司『すし之助』へ。

ひとり2000円近く、回転寿司の値段ではないが、沼津魚港仕入れの地魚三昧は、まず満足の域だった。

1ヶ月半ぶりの伊豆長岡、持ち込んだ無農薬野菜をつまみに、のんびり休日の始まり。

 

27日

車で10分の中伊豆農協主催の『韮山グリーンプラザ』で買い物。

巨大茄子4本で100円、ほうれん草のように袋に詰められた紫蘇(100枚以上あった)80円、

きゅうり6本で100円など、あり得ない値段で新鮮地物野菜を購入。

すぐ近くにあった「江川代官屋敷」を300円の入場料で見学し、案内人に詳しくガイドしてもらった。

なかなかに興味深く、有意義な見学だった。

伊豆長岡に戻り、野菜料理三昧で宴会。のんびり休日の2日目終了。

 

28日

早起きをした私は読書三昧。夜中から明け方まで読書の卓文さんが起き出した8時過ぎになって、

しっかり準備をして静浦漁港へ出発。天気は快晴、風なし。遠投釣りデビュー(竿2本新品)。

5m以上の竿を振り回すのは初めての二人だったが、卓文さんの第一投でいきなりソーダ鰹ヒット!

これが今回最大クラスの40cmデブ鰹だった。(半日後に刺身に変身)

夫婦で来ていた右隣のおじさんは、座ったままでひょいと50m以上は飛ばすが、

私たちは立って気張って準備して、それでも20~30mがいいとこ。

見かねたか、そのおじさんが色々とコーチして投げてくれた竿で、私の初ソーダ鰹がヒット。

次に卓文さんの竿にかかったのが、引き揚げ直後にバレて残念・・・

おじさん撤収に際し『師匠、ありがとうございました』と言ったら、

頑張りなさい、と2本のソーダ鰹をプレゼントしてくれた(彼は10数本釣っていた)。

その後、私がもう1本釣って、ふたりでヘロヘロに疲れて、14時撤収。

(本日ふたりとも足の筋肉痛で歩行困難、釣りってスポーツなんだ、と実感)

伊豆長岡に戻ってビールを飲み、しばし呆然と休息。

夕方から調理にかかる。3本をフライ(2本は冷凍保存)・1本を刺身・1本をなまり節に。

デビューとしては、十分の釣果だった。夜は当然、鰹三昧の宴会で3日目終了。

 

02 Aug.

早苗母さんのニットドレスの作品が、ソーイング新潟教室代表に選ばれ、
日比谷公会堂でのファッションショーに出品されることになった。
7月31日、私はモデルとして出場し、40秒間シャナリシャナリとステージを歩いてきた。

 

『佐藤貴美枝ニットソーイングクラブ』は驚いたことに、北は北海道から南は九州まで、
 241教室もあり生徒数3万人、それぞれの教室から1名が選ばれるのだ。今年で18回目だそうだ。
早苗母さんからのモデル依頼の電話は、あまり感動した様子もなく、だから私も、
『うん、いいよ、じゃシャナリシャナリしてくるね』と淡々と返事をしたものだが、
当日会場に行ってみると、大変な騒ぎ! 
ひとりの出場者のために貸切バスを仕立てて、応援隊が何十人も押し寄せて、記念撮影。
日比谷公会堂の2000席は満員売り切れ、公会堂前の道路には貸切バスがズラリと並び、

揃いの制服のスタッフが何十人もプラカードを持ち交通整理、とエラいことになっていた。
控室は戦場のような騒ぎで、化粧する人、鏡の前でポーズを研究する人、
1教室一人なのだから全員が知らない人のはずなのに、作品について会話が盛り上がり、ものすごい熱気。
ステージでスポットライトを浴びる、ということに対する興奮がひしひしと伝わってくる。

 

そんな中でポツンと冷静な私は、小説を読みながら静かに出番を待っていた。
そうしたら美保さんからメール。
『朗さんの強い勧めがあり、早苗母さんとふたりで日比谷公会堂に向かっている。到着は13時30分』
『ひぇ~~っ!』俄然張り切った私は、裏技を使って特等席のチケットを2枚入手。到着を待った。
私の出番は107番目、14時50分くらいだった。無事終了。
東京駅のエビスバーで祝杯をあげ、家族への土産を買って、ふたりは新潟に帰って行った。
思わぬことで久しぶりに美保さんと早苗母さんに会えた怒涛の一日が終わった。
ファッションショーのDVDは、出品者には1枚宛て配られるそうなので、
 いずれそれはコピーされ、全世界に配布されることであろう。楽しみじゃ。

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 だから本日は菜園の手入れに専念。

 01/11/2011

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 リーに動画をアップ 07/10/2011

*ほぼ10年ぶりにHPを作成しようと思い立った。 さてどうなることやら・・  03/10/2011