今月も最終日。スイスママが来た昨年末から、あっという間にひと月がたった。
二人とも休日の本日は、昼間から宴会。
庭の野菜を収穫しそれをサラダに仕立て上げ、麗からのスイスの白ワインを冷やして、
まずは乾杯。
その後、自家製たくあんを切り、庭のエシャロットと沖縄島ラッキョウに味噌、
芽キャベツと卵のバターソテー、地鶏のエスニック風炒め、筑前煮、分葱のぬた、
ターツァイと烏賊のオイスターソース炒め、と和洋中入り乱れた満漢全席状態。
最後に玄米を精米したてのご飯に、自家製塩辛、田塚屋の鯛の子塩辛と村上塩引きの粕漬を乗っけて、陥落。
体重計が怖くなる一日となった。
卓文さんの出勤より2時間早く家を出て、横浜市営地下鉄に乗り、阪東橋で下車。
横浜橋商店街を散策。
360mの長さに140店舗がひしめき、その6割が食品を扱うという。
アーケードの下の商店街は活気に溢れ、観光客も多い。
昭和レトロな商店街はその昔は闇市だったそうで、
韓国料理材料店が6~7軒もある。
目指したどじょう&うなぎの正直屋は本日定休で、あらら残念。
テレビでも放映された、漬物屋が経営する灘屋の『牛スジ丼』でランチ。
卓文さんはそこからまた地下鉄で戸塚まで行き、東海道線に乗り換えて出勤。
わたしはすばらしい鮮度の青森産するめ烏賊と、卓文さんご所望の牡蠣のキムチを購入し、帰宅した。
さて、今夜は烏賊のワタ和えと日本酒かな?
新潟ばーばから頂いた日本酒を開封する絶好のチャンス。
百草園の蠟梅がそろそろ盛りを迎える、というので見に行った。
飛び乗った電車が『特急高尾行』だったので、まずは高尾に行き、高橋屋で銘酒高尾と名物のとろろそば。
それから百草園に戻り、蠟梅と水仙を鑑賞。甘酒をいただいて春を満喫。
最後は綱島の居酒屋で定番の宴会、と呑んだくれ夫婦の休日は楽しくも穏やかに終わった。
高尾からの電車で向かいに座ったのは、何と高橋屋の先代女将。
86歳で、今は娘が女将を継いでくれているとのこと。
ご主人は92歳でまだかくしゃくと高尾山の総代をしているが足が弱くて付き添いが大変、
とのことだったが、この先代女将の元気なことには驚いた。
大牟田のお母さまも、スイスママも、この女将に負けないように、いつまでも元気でいてほしいと願った。
麗からメールがきて、どっさりの写真。
またまた懐かしく思い出に浸ったひとときだった。
卓文さんは久しぶりにデンマーク語の翻訳が来て、
辞書と首っ引きで格闘していた。
そのそばでわたしは、うろうろと家事。
せっかくママ効果できれいになった我が家をキープしようと、
処分するものをより分けるが、
ママの『取っとく大臣』の遺伝子を一番強く受け継いだわたしにとっては、
これまた難行苦行の仕事となる。
まったく使わずにもう5年半もこの家で暮らしているのだから、
それは不要なもの、と諦めればいいのに、
『ああこれ、まだ使える』『今後これを使うシーンがあるかもしれない』
『これも取っておけば便利だろう』『そうそうこれでああしようと思ったんだっけ』
・・・・
で結局捨てるのはほんのちょっぴりになってしまった。
いかんいかん・・・
さて、残り野菜をたくさん使ったクリームシチューと、
麗からのスイスパンをこんがり焼いて、
庭のかぶを引っこ抜いたサラダでランチ。
卓文さんは出勤した。
イッヒ レルネ ドイチュ の時間が始まる。
スイスママが帰国して2日。
冷蔵庫を開けては、ああ、これも食べさせたかった、これ出すの忘れた、
と食べさせ魔一族の一員である私は後悔しきり。
しかし、
あの元気は本当にすごい。
到着→高速バス→チェックイン→美容院
の美容院に行ったら、『全然疲れていない、これなら毎年来れそう』
には脱帽。
お天気にはとても恵まれ、
そのあとの6泊8日の予定をすべてこなし、
新横浜の『沼津漁港うおがし寿司』に3回通い、しまいには店員さんに、
『おかえりなさーい』なんて挨拶されていた。
伊豆・小平・新潟を訪問しつつ、
30数年ぶりの紅白歌合戦を堪能して、
いい旅になったことは間違いない。
気持ちよく出してくれたウェルナーにも感謝を伝えたい、と卓文さんと案を練っている。
明けましておめでとう!
新しい年が始まります。
一族の誰もが健康に楽しく有意義な一年を過ごせますように、念じています。