本日も1日だけの休日。毒の回った卓文さんとバスで川崎駅前の釣具店『上州屋』へ。
竿2本・しかけたくさん・おもり・さびき篭・折り畳み椅子など購入。
さらに『伊豆半島の釣り場ガイド』なんて本まで買っちゃって、あらら。
堤防釣りは根掛かりするし、ふたりで2本の竿なら、自分のことは自分でしなくちゃいけない。
だからいろいろな作業を練習して、スムーズにできるようになってからのほうがいいから、
次回はもう一回、本牧に行こうよ、と提案。
本日の釣具店の『釣りマイスター』さんの話によれば、
本牧は砂もまいてあり漁礁も作ってあるので、根掛かりも少なく魚の種類も豊富で人気ありますよ、
とのこと。
非常に強い大型台風17号も、10月1日には北海道に去っていくから、2日早朝からチャレンジしましょう。
季節がよくなったら、釣りにでも行ってみようか、と話していて本日は1日だけの休日。
1日じゃ伊豆へは行けない。じゃあ釣りのリハーサルで本牧へでも行くか、と朝9時に決定。
それからレンタカーを借り、本牧着が昼前。入場料900円と見学100円。
道中に釣具屋があれば初心者用一式でも買おうかと思ったが、あれよあれよと現地に到着だったので
リハーサルだしちょこっとレンタル竿を借りましょう、となった。
ところが竿千円・しかけ・おもり・えさ・ほにゃらら・ほにゃららで、3250円、と言う。
そして『レンタルは17時までだからそれまでに返してください』
その横には初心者用しかけおもりさびき篭セットが2300円で売っていた。
じゃあ、買ったほうがいいね、とセット・えさで、しめて3150円。
19時まで使えて持って帰れるんじゃ、買ったほうが安い。変な計算だね。
と言いつつ護岸へ。7年もやってなかったら、竿の投げ方すら忘れていた。
それでもだんだん思い出して、投げても投げてもボウズ。
3時間もやってボウズじゃ、そろそろ帰ろうか、とフロント近くの自販機にお茶を買いにいくと、
今引き上げよう、という人が釣果をフロントに報告中。た、大漁だっ!
どこで釣っていたかの私の質問に、『桟橋です、みんなそこそこ釣り上げていますよ』
戻って卓文さんに『河岸を替えようっ!桟橋へ』
で第一投でシコイワシ2尾、それから豆アジ3尾、2尾とレンチャン!
挙句に卓文さんの竿の先の糸がビビーーーーン!と桟橋の反対側まで走って、
ぎょぎょ大物っ!と思ったが、逃げられた。
真っ暗になる直前の18:30 終了。釣果は写真のとおり。大いに楽しみました。
ほぼ1尾500円の高級魚。2本は刺身に、あとは干物に。明日の夜も大いに楽しみましょう。
9月9日朝、卓文さんのお母さまが亡くなった。
朝7時50分、病院で眠ったまま息を引き取ったとのこと。
10日朝いちばんの新幹線で大牟田へ向かう。昼前に葬儀場到着。
『家族葬』とのことで身内のみの穏やかでしめやかな雰囲気の中、通夜と葬儀は終わった。
葬儀場には今成朗&田崎明・岩井麗奈&長友彩香の花篭(葬儀後自宅へ)。
自宅仏間には扶喜子&Werner&麗・田崎實&早苗・とうじしほみさ・に上記の2つの花篭、
と眞知子関連の花で埋まった。
最近はずっと意識朦朧でうつらうつらの状態だったとのことだが、
長妹かすみさんの『お兄ちゃんの奥さんの名前は?』にはすかさず『眞知子さん』と答え、
『眞知子さんの旦那さんの名前は?』には『・・・・・ぼくちゃん(卓文さん子供時代の呼び方)』
だったそうな。
心配の種だった卓文さんに伴侶ができたことを、きっと安心し喜んでくださっていたのだろうと感じる。
実際に葬儀を取り仕切ったのはお母さまと同居していた次妹のかおるさんだったが、
喪主はあくまでも長男、ということで、及ばずながらも『喪主の妻』を務めることとなった。
大牟田の仕来たりとお母さまが信心深かったこともあり、初七日・二七日・三七日~と毎週お坊さんが読経に来るのだそうで、私たちは10月28日の四十九日の法要に参列することにした。
迅速に手際よく心のこもった対応をしてくれた一族のみんなに、心からの感謝を伝えたい。
とうとう最終日。
おかあさんが作った「旅行日記」の、元気・はみがき・お手伝い・はみがき は毎日すべて『○』
お手伝いは、洗濯物を洗濯機に入れる・干した洗濯物をピンチから外してテーブルの上に積み上げる、
食べた食器を台所に運ぶ・植物の水やりは毎朝かかさず、とけなげにこなしました。
きのうの遊園地デビューであれほど喜んだのだから、と本日の『ちょっとだけ楽しいこと』は、
迷わず遊園地。近場で、ということで横浜みなとみらいのコスモワールドへ。
ちょっと大人向けの絶叫マシーンは『怖いよ無理だよ』で、幼児向けのはもう東治には刺激が少ない、
と、東治が喜ぶマシーンは少なかったけれど、
それでも世界一という大観覧車・kids向けジェットコースターで、一応は満足したといえるだろう。
そのあと、みなとみらい駅ビルのバイキングレストランに行った。
(昨日のものと値段は同等で3倍くらいおしゃれで3倍くらい品数も多いが、見かけ倒し、シェフ失格!)
東治の舌は正直でした。すべてをひとくちずつ食べて、おかわりなし、『旨い』の言葉もなし。
立派な味覚です。脱帽。
ドレミファソラシーではない、京急に乗って羽田へ。
空港のお姉さんに手を引かれ、バイバイと手を振りながら東治は飛行機に乗って帰りました。
あ~~~~あ、行っちゃった。
また、来年もおいで。3年たったら、志帆も一緒に連れて来るんだよ~~。
3日目。卓文さんも休みで本日は3人で八景島シーパラダイスへ。
お目当ての⑦京急線は、駅のホームで来た電車の車掌さんに聞くと、
「ドレミファソラシー」の音階電車は、もうまれにしか走っていないとのことで聞き分けよく諦める。
普通の京急電車に乗り、金沢八景からは新都市交通の、運転手のいないゴムタイヤのモノレールもどきで、
先頭車両に乗った東治は、『にわか運転手』になり、『右よし左よしオーライ』と大得意。
定番の水族館を見たあと、バイキングレストラン(東治お気に入りらしい)で、しょぼい昼食。
と思いきや、パスタがおいしい、と二度おかわり。
そして初体験の遊園地乗り物の、最大のお目当ての船のジェットコースター水面にバッシャーン、
が本日は点検のため休業にがっかりしながらも、次なるお目当てのタイヤボートでの急流下りが大満足。
降りたとたんに『もいっかい乗りたーい』だが長蛇の列で断念。
そのあと乗ったピーターパンは『怖いけど楽しいっ!』次の飛行機は怖くないけどもういい、
であっという間に午後6時を過ぎていた。
ランチが午後3時だったので夕食はどうしようかと思ったが、『おうどん食べたい』
で、泡ぶくお風呂のあと、五目そーめんの夕食。
歯磨きで午後9時就寝。卓文さんに『ありがとう、いってらっしゃい、さようなら』
で、10分で熟睡でした。
明日は帰る日だけど、ちょっとだけ楽しいことをして帰りたい、と何回も言う東治。
さてさて、午後3時45分の飛行機の前に、何をしてあげたらいいだろう。
5時におしっこに起きて、また熟睡4時間で、9時起床。
ウィンナードッグ、マンゴーヨーグルト、トマト、麦茶で朝食。
植物の水やりのお手伝いをして、PCペインターでお絵かきをして、12時に出発。
⑤バスと⑥横浜線(あのね、横浜線はおかあさんが高校に通うのに毎日乗った電車なんだって)で、
橋本のかっかぁ(彩香 の東治用語)に会いに向かう。
映画館(14:45より『ぴかちゅう』の映画鑑賞予約のため)で待ち合わせ、回転寿司へ。
いやぁびっくり仰天、昨今の回転寿司の進化は、単なる寿司屋ではなく、ファミリーレストラン真っ青の、
お子ちゃまご指名率一位納得のレジャーランドだった。
普通に回転する川の上に超特急の川があり、PC画面で注文すると人形のかっぱが超特急でその皿を運ぶ。
食べた皿5枚をテーブル横の回収ポケットに投入するとPC画面でゲームが始まり、当たるとガチャポン!
(年配の方へ解説:スーパーなどにある百円玉を入れると無作為の宝物が落ちてくる仕掛けの自販機)
寿司も生ものだけではなく、『イベリコ豚のバルサミコソース』『えび天』『鶏照り焼とアボガド』とか、
さかな嫌い人間でも楽しめる趣向。
彩香はいわしを楽しみ、私はエンガワとツブ貝が気に入ったが、
絶品!と言えるほどではなくとも、1皿105円なら充分に納得できる食事だった。
そこでかっかぁとバイバイして、映画。
中盤ちょっと怖くなって『ばーば帰ろう』と言うも、帰り支度をしているうちに怖い場面は終了。
その後、主人公たちが勇気を出して悪と戦う勇ましい場面に変わったので帰るのを忘れて最後まで鑑賞。
昨日の疲れも残っていたのか、帰宅後は納豆ごはん、人参、きゅうりを食べ、泡ぶくお風呂・歯ブラシで、
9時すぎにはおやすみなさい。そして、5分で眠ってしまった。
明日の八景島シーパラダイスを楽しみに、夢を見ていることだろう。
3代目珍道中初日。
空港のお姉さんと一緒に12:30、到着口に現れた東治。にっこにこ。
しゅら君(彩香の友人、東治大好き人間で本日わざわざ会社を休んでの東治接待係)と出迎え、
①モノレールで浜松町へ。昼食後そこからタクシーで東京タワー。
展望台からは雲ひとつない快晴の空の向こうに、東京スカイツリーがよく見える。
さああそこに行きましょう、と②山手線、③地下鉄、電車でスカイツリーに16:00着。
2時間後に入場券を買う権利の整理券をゲット、併設の水族館でその時間を待つ。
東治のお気に入りはくらげコーナー(しゅら君は『きもい~』)、とペンギンコーナーだった。
(年配の方へ解説 若者言葉:きもい~=気持ち悪い~)
17:45、入場券ゲートに並ぶ。延々と行列1時間。入場券ゲットと同時にエレベータで345m上空へ。
ジャスト日没でしゅら君は写真撮りまくり。東治も大興奮。きらめく夜景に変わった景色を堪能し、
1時間後に降りて、しゅら君と握手とHugのお別れ後、
おかあさんへの絵葉書を買って、③地下鉄と②山手線で東京駅へ。
念願の④新幹線で新横浜到着が20:47。
そこから我が家近所のレストランまでの10分間、タクシーの中で東治爆睡(乗車1分で落ちた)。
それでもレストランに着くと、ちゃんと目をさまし、卓文さんと合流。
好物のオムライスを食べ、21:45帰宅。
歯磨き、シャワー、お手伝い(我が家の洗濯物を全部洗濯機に入れた)をして本日の日程終了。
行先も、乗りたかった乗り物の数も、2~3日分の濃さだっただろうに、
緊張と興奮でタクシー10分の昼寝(時間的には夜寝)のみで終わった。
『おやすみ~』から5分で熟睡。おねしょがないことを祈る。
10日から始まったお盆休みももう5日目。
卓文さんはひたすら翻訳の毎日。家から一歩も出ずに、オリンピックを見て翻訳、宴会。
それが4日続き、本日は新横浜労災病院へ受診のため出かけた。
2か月目に入る減塩生活のお蔭で、下は80台、上は130台の血圧測定結果の表を意気揚々と持って。
我が家の味噌も醤油も塩もなかなか減らなくなってしまった。
先日下のセブンイレブンのから揚げを買ってきた卓文さん。
一口食べたら『しょっぱーーいっ!』で水をごくごく。
というわけで、最近はほとんど外食をしない。
野菜と植物性蛋白質の大豆や豆腐など、工夫すればどれも美味しくいただける。
酒量もずいぶん減った。禁煙まであと一息、というところだが、
翻訳があるとそれも辛いらしい。
徐々に、徐々に、行くしかないだろう。
1泊2日で新潟に行ってきた。いつもの直通ノンストップ便。
昼前に着きレンタカーを借り、丘の上のふたりとかわかみでランチ。
満員だったので予約しておいて正解。たれカツ丼・お刺身・小鉢たくさんの絶品だった。
それから3人でアピタへ買い物。そこでパパが主治医の渡辺先生とばったり遭遇。
お嬢さんと買い物に来た、という半ズボン姿の渡辺先生が、にっこにこでパパに近づき、
『タサキさん、陰性でしたよ』
8月10日の診断を待たずに、癌検査の結果が『陰性』だったとわかる。
なんという偶然、神様のお導きか。その夜の花火宴会は二重の喜びで大盛り上がり。
美弦の機転でFMラジオの実況中継付きの花火大会を、3回目にして一番楽しんだパパだった。
次の日はカーブドッチでランチを、と吉田方面に向かうも、目的地近辺は真っ黒な雨雲。
どーんと雨雲に突入した途端に激しい雨雨雨。そして風風風。
道路は散乱した小枝で緑のじゅうたんのよう。バケツをひっくり返したような豪雨で視界5m。
それが突然、『ヒョウ』に変わり、雷が鳴り響き、道路を横断して枝の千切れた大木が横たわり、
その先の視界の開けたところで、何と雨が左から右へま横に降っている。
これは竜巻だ! とUターン。命カラガラ逃げ出した。
あとで知ったが、風速35.8km。西蒲区では電信柱が10数本も倒れて、被害甚大だったそうな。
(横浜に戻って全国版NHKニュースで知った)
竜巻が去ったあとは抜けるような青空。
コースを変えて、出来島のイタリアン(Via BACARO)でランチのあと、
加島屋本店で麗奈と彩香に茶豆と鮭切落しを送る。
我が家の土産に茶豆と焼きナスを買って、新幹線で帰路へ。
ドラマチックな旅行だった。
毎朝5時45分に出勤していた卓文さんも、本日でひと段落。
明日から1週間は、1日3コマのらくちんシフトだ。そしてお盆休み6日間が待っている。
30年前は一世を風靡した卓文さんの塾も、凡庸な2代目になって衰退の一途を辿っている。
6年前の夏は40日間ほとんどフルの9コマを、体調をくずさないように乗り切るかに腐心したのが、
年々コマ数が減り、今の体たらく。
優秀な生徒たちは後発のS塾に取られ、卓文さんの阿吽の呼吸の授業の醍醐味を満喫できる能力の子供たちは少ないという。
ともあれ、卓文さんも65歳、私も60歳。
教育とはなんぞや、なんて議論を戦わせることもあるが、
仕事以外のふたりの時間を大切にして、豊かな満たされた時を大切にして過ごしてゆきたい。
といいつつも、8月5~6日は、仕事の卓文さんを置き去りにして私は新潟に行く。
3回目を迎える、丘の上マンションの新潟祭り、花火大会だ。
ここ半年ほど、あまり元気のなかった新潟パパが、ドクターの処方した新薬のお蔭か、
半年ぶりにビールを飲めるようになった、と嬉しそうに報告があった。
当日は花火を見ながら、今成家とともにビールを楽しもう。