28 Feb.

明日は早番で、7時過ぎには家を出なくてはいけないので、一言だけ。

菜の花の辛し和え、おから煮の差し入れを持って病院へ。

私がいた1時間半、ドアと窓を一歩一歩歩く練習、ベッドの柵につかまって、スクワット。

まるで、反省文を書かされた次の日の小学生みたい・・・

あのね、私がきのう叱ったのは、そういう意味じゃないの。

退院後の日常生活に対する認識を変えてほしいという意味、

と思ったが、することには意義があるから黙って見ていた。

日々進化していることは間違いなし。

今後の訓練によっては、『えっ? 脳梗塞だったんですか、そうは見えない』

と言われるほどの進化(回復、ではないのが脳梗塞の特徴)ができるかもしれない、ほどの上達ぶり。

私が持っていく熱湯とティーパックでしか実現できない、熱々の緑茶を唯一の楽しみにしている卓文さんに、

2杯半(500ccのポットの限界)を提供し、お休みのチュッ。

明日は早起き。もう寝ます。

27   Feb.   夜

さすがの私も、堪忍袋の緒がブチギレた。

10数年前、BUNちゃんが 『マッチが怒るとホントに恐い』と言っていたのを思い出すが、

きっと卓文さんも、一瞬恐怖を感じただろう。

 

ウツにはほど遠い明るさで、入院生活を送っている卓文さんだが、

自分の病気に対する認識が甘いのを、入院以来私は感じていた。

加えてリハビリ室でのリハビリが開始され、周りの患者を見ると、ほぼ全員が自分より重症。

で、その甘さが加速していたようだ。

さっさとリハビリで回復し、以前と同じような生活が近い未来に再開できる、と勘違いし始めた。

 

糖尿と高血圧を改善し、脳梗塞の再発を防ぐ、という三重苦のクリアのために、

退院後、どのような生活をしなくてはいけないか、の認識が全くない。

退院後は、毎日最低1時間の有酸素運動として、お散歩しようね、私も一緒にするから、の提案に、

『そんなの楽しくない。(楽しさのためにするのではない!)

歩くのは塾への通勤で充分足りるだろう。

(それで足りていればこんな事態にならなかった!)

仕事していると、毎日散歩って、時間的にむずかしい。

(じゃ、仕事やめてもらいます! でも時間は充分にあるはず 家でドラマを見る時間を減らせば)

脳梗塞患者が280万人もいるというがその人たちが真面目に歩いていれば、街中そういう人だらけになる。

でも、そんなの見かけたことないから、そんなことをしている人はそんなにいない。

病院ではそう指導をするけど、それを実行している人なんて、そうはいないよ=だから自分もしたくない。

(見かけなくても、する人はしている、そして奇跡の復活をしている!)』

つまり食生活を今後は気をつけよう、という意識はあるが、生活パターンを一変させる気はない、

という発言である。 ブチッ!!!

 

『動脈硬化度:高度』と判定が下された、ボロボロになっている血管を強化するためには、

良質のたんぱく質と良質の油脂の摂取が必須(卓文さんは油脂の摂取を極端に嫌う→デブになるから)。

その上で筋力を上げ体脂肪を減らし、半年かけて7kgの体重減少を図ること、そのための散歩だ。

『あなた、自分の病気に対する認識が甘すぎる!

ウツになるくらい真剣に調べて、もう少し自覚してもらわないと、面倒見切れない!』

で、ドクターからもらっていた脳血管の血流表とCT写真を見せる。

『2本あるべき左の頸動脈1本は完全に塞がって通行止めの状態、で残る1本が2本分働いているの。

右の頸動脈2本は辛うじて生きているけど、半分ヘドロがこびりついて半人前の仕事しかしていない。

ヘドロは消えないんだから、そういう状態の血管を強くしなやかに育てながら血液サラサラ状態を保つ、

って生半可の努力じゃ出来ないのよ!』

 

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今後、どういう回復をするかまだ全くわからない状態だし・・・

その先のことを言われても、その頃どんな状態かわからないのに、

その頃の計画を言われてもその頃がいつなのかも予想できないし・・・』

モソモソと訳のわからない言い訳をしたので、思わず吹き出してしまった。

 

『初めて叱られたね』に、『うん・・・・・う、う、うぇ~~~ん』と泣き真似、でチョン。

 

その後、ドライシャンプー、身体を熱いタオルで拭いて全部着替えさせて、と大忙し。

ちょっと時間超過で慌ててバイバイのチュッ。

帰りに菊名の東急ストアで明日の差し入れのための野菜を買って帰宅した。

憤懣やるかたなく、九州かおるさんに電話し、経過良好報告とブチギレ報告をしてうっぷんを晴らす。

『ガツンと言ってやったほうがいいよ、懲りてないんだから』との、かおるさんの意見。

 

今頃、何を考えているかな、なんて思いながら、これから寝ます。

 

27 Feb.   朝

昨夜は22時に眠剤で眠ったら、今朝はまた4時半に目覚めた。寒くてのどがイガラっぽい。

大変だ、で毛布を追加で掛けてもう一度寝るが、うつらうつらして、そうすると変な夢を見てもう眠れない。

6時、えいやっと起きた。冬のうち毛布を追加して寝るのはほんの1週間の極端に寒い時だけだったのに、

それはふたりで寝るからあったかいんだな、ひとりだとこんな季節でも寒いんだな、と初めての経験。

風邪なんてひいていられない、とうがいをしてこの日記を書き始める。

 

つらつら思い辿ってみるに、世話になっていて文句を言うのもなんだが、

労災病院は手が足りなすぎる。

『毎日身体を清潔なタオルで拭きます』は全く実行されず、聞いたところでは入院1週間目の1度だけ。

(その後は個室に移って、洗面所にお湯が出るので、私が拭いて着替えさせている)

髪は、ドライシャンプーを買ってきて、これもわたしが2回シャンプーした。

6人部屋の頃、ある夕方、『顔を拭いてください』と熱いタオルを配っていた。

4人目の患者が、『さっきテレビカードを買ってくれと頼んだがまだ来ない、金は渡してある』

に対応して部屋を出て行った看護師が、しばらくしてカードを持って戻りそれを隣の患者に渡し、

そのまま出て行ってしまった、残りのふたり(卓文さんともう一人、はタオル配布なし)

『ね、ここはそういう病院なんだよ、すべてが万事、こんな感じ』と卓文さんは苦笑いしていた。

嚥下食の3回は、すべてドロドロ状態でスプーンがついていたが、

その後の通常食になったところ、おかゆに付いていた『海苔の佃煮』はお寿司に添付の醤油状のもの。

四角のプラスティックに入った卵豆腐は、ビニールのぴっちりしたフタがされている。

左手の力が入らず指の動きも不自由な卓文さんは、もし私がいなかったとしたら、

忙しそうに駆けずり回っている看護師さんをナースコールで呼んで、

『海苔の佃煮を切って、卵豆腐のフタを開けてください』と頼む勇気なんて、とてもないだろう。

ということは、食べたくても食べられない状態、という可哀そうな事態が発生する。

入院中の楽しみなんて、食事、くらいなのにね。

昨晩行った時、もう3日もうんちが出ない、と悩んでいたが、

これだって運動量が少ないから腸の動きが悪いんだろうけれど、

普通『おしっこは何回出ましたか、大便は何回?』と看護師が毎日チェックする項目のはず。

3日も出なければ、何らかの処方があるのが普通だろうが、その気配すらない。

今日は自宅にある『ファイバー』(卓文さんお尻の手術のあとの常備薬、水に溶かして飲む)を持参しよう。

26  Feb.

宅急便を受け取るために、自宅に直帰。すると18:15 に宅急便が着いた。

よし、病院に行ける、とタクシーを呼び、卓文さんに会いに行く。

卓文さんも情報収集していて、世田谷記念病院は超有名で入院困難病院である、と認識していた。

家族面談までこぎつけたのは、稀にみるラッキーと言える。

本日わたしが電話して、世田谷記念病院の相談室オガタさんと話したが、現在満床で、空室待ち。

場合によっては2週間ほど待つ必要があるらしい。

が、私たちはラッキー夫婦。きっとそんなに待たずに入れるチャンスが訪れるだろう。

3月1日14:00に家族面談の予約。

 

日々の懸命な自主リハビリの成果を報告。

車椅子生活3日目の本日、わたしの目の前で、

ベッドから降り、10歩歩いてトイレに到着、おしっこをして、手を洗って、10歩歩いてベッドに帰着、

まで、10分で出来た。(ナースステーションには内緒、おしっこは相変わらずシビンでしろ、状態)

『素晴らしい、よく出来ましたーー!!』と拍手。

でも、それをママに報告すると、『まぁ・・・』と絶句。

きっと言葉にすれば、『あんなに元気だった卓文さんが、何ともおいたわしい状況』という所だと思うが、

脳梗塞の現実を熟知しつつある私は、格段の飛躍的な進歩、と受け止める。

現在も付き合いのある唯四(ゆいよん)相模原勢:みおママ・ちゃこ・税理士吉川先生・高木君の

高木君(よしきさんとの仲人っ子、卓文さんの医療保険加入を担当した保険屋)が言っていた。

『男なんてバカなんですよ、女神さまの眞知子さんがいるから、頑張る。でなかったらウツですよ』

は、現実だと思う。

今の卓文さんが頑張れるのは、きっと元気な私がいるから、元気な私とまた一緒の人生を送りたいから、

が努力を支えているのだろうと思う。

元気眞知子、頑張れ!!

25  Feb.

本日、卓文さんの心境に進展あり。

昨日、車椅子デビューした卓文さん。本日より本格的なリハビリが始まったのだが、それに不満あり。

1階のリハビリセンターに行ったが、たった1時間でおしまい。

自主的に自分で来て、出来そうなリハビリをしてよいかの問いの答えは、安全管理上の問題でNGだそうだ。

大切な大切な急性期3週間を、この病院の漫然とした時間の経過の中で過ごすのは時間の無駄。

それならさっさとリハビリ専門の病院に転院して、本格的にリハビリをしたい、と仰せ。

おおおッ!!  すごい進化。

タイミング良く、ソーシャルワーカーからの連絡あり。

世田谷記念病院から、『判定が通ったので家族面談に進みたい』(理解不能な日本語だが肯定的内容と判断)

で、明日、私が電話をして、3月1~2日が休みなので、そのどちらかで家族面談をする予定。

家族面談の結果、私が納得できる内容であれば、早急に転院手続きとなるだろう。

昨日は2歩でトイレに座る、が10分かかったのに、

本日はそれより車椅子が遠い場所にあるのに、3歩を5分、でトイレに座れた。

うんちもおしっこも自力でできる。大進歩。

 

明日は宅急便を受け取らなくてはいけない事態になったため、初めて卓文さんに会えない日となる。

昨日持って行った、ひじきの煮物、ほうれん草とホタテのマヨネーズ和え、のうち、

ひじきを気に入ったようだったので、

本日は、ひじきの煮物と、もやしのオリーブオイルカレー味、沢庵2切れを持参。

だから明日は、病院のご飯だけで我慢してね、で19時55分、チュッ で帰ってきた。

 

ママは雛人形飾りで大問題中。嬉しそうに困っている。

佳きかな。

 

24 Feb.

栄養指導を受けるために11時に来院してください、との昨日の通達で、11時に行くと、

病室に車椅子が持ち込まれ、相談を受けるのは1階のA2へ行ってくださいとのこと。

ようやく立ち上がって車椅子に無事着地した卓文さんを押して、1階A2の窓口へ。

ありきたりな説明(私たちはもう5年前から百も承知の食生活改善案)を受け、

唯一参考になったのは、体重を減らす目安、『一ヶ月に1kg』 を目途にすること。

タンパク質と良質の油脂は積極的に摂ること、といったところか。
(私は充分承知だが、卓文さんを説得するには有効、という部分)

それから卓文さんの当面の夢であった、『車椅子で1階のドトールに行ってコーヒーを飲む』を実現する。

(但し病棟には内緒)

車椅子に乗れた卓文さんは、車椅子から降りたくなくて、病棟の廊下やサロンを行き来し、

『この車椅子、何だか変だ、左が重いクセがある』とノタマうので、サロンの椅子に移動してもらって、

私が車椅子を操作してみると、新潟パパの西病院のものよりかなり精巧な操作の出来る立派な車椅子。

もっともパパのは、付き添いが押す、のが前提だし、これは患者が操作する、が前提だから当然か。

『残念でした、あなたの左手の機能の衰えが原因で、車椅子の機能は万全です』

と烙印を押した。

その後、ネットで調べた『お手玉投げ』をヒントに、

ビニール袋に入れたタオルを私が投げて卓文さんが左手で受け取る。

そしてそれを私に投げ返す、という練習。最初の10回は『投げる』ができなかったが、

少しずつできるようになって、後半20回はその距離も徐々に伸びる。

リハビリの先生が来て、握力を測ると、右18kg 左13kg でまずまずの数値。

(ちなみに、握力計を借りて測った私の数値は、右30kg 左25kg 力持ちを立証)

『僕ね、箸より重いもの持ったことないから、昔っから握力弱いのよ。

じいやがおんぶして、ねえやがランドセル持って小学校に通っていたから』

なんて冗談も飛び出す。

 

夕食前の血糖値計測で、初めて200台を切って、176。で初のインシュリン注射なしの夕食。

なんでだろ、と卓文さんは不審げだったが、

初めて車椅子に乗り、腕を使って、運動量が増えたからじゃないの、との私の解説に納得。

じゃ、もぅすこし運動しよう、と調子に乗って、再度車椅子に乗って病棟を1周する終わりの頃に、

看護師が気づいて、『山口さん、今日が初めての日だから、あんまり張り切りすぎないで』

で、そこからは私が押して病室に戻った。

1リットル持って行った温泉水という特別のお湯はすべて緑茶に化け、熱い緑茶を堪能した卓文さん。

明日、私は仕事だから、東京の水道水のお湯を500ccしか持ってこれないよ、と伝える。

個室の特権である専用トイレも、建物が古いせいで、段差のある患者に優しくない設計だったが、

なんとか一歩一歩を確保しながら、自分でトイレすることが出来た。

ベッド上のおしっこうんちは、やっぱり人間の尊厳がかなり傷つくから、一歩前進というところか。

明日からのリハビリが、成果をあげることを祈るのみ。

 

私は明日から5勤。ちょっと卓文さんに貢献できない日々が続く。

23  Feb.

昨日も休日で、15時に面会の前に、14時からソーシャルワーカーとの面談があった。

2週間後の退院のあと、リハビリテーション病院への転院の相談。

スパルタで個室希望と伝えると、新横浜リハビリテーション病院を推奨される。

『世田谷記念病院はどうですか』と聞くと、『よく見つけましたね』と感心される。

新横浜リハビリテーション病院も個室は多いが、世田谷記念病院は全個室。でスパルタ。

混迷期にある日本のリハビリ病院の先駆者の、何だか教授が設立した、まだ開設4年目くらいの病院らしい。

入院から1週間、目出度く個室に移れた卓文さんに、おめでとうを言い、

声をひそめる必要もない個室の会話は、昨日までとは打って変わって二人の世界。

ソーシャルワーカーの話を卓文さんに伝え、どっちにする? と聞いて、世田谷記念病院に決めた。

 

ところが!

当日再度のIC検査があったのだが、その結果、経過良好で、

この病院での入院を1週間延ばして、そのまま自宅退院が可能との主治医(古川坊や)のご託宣。

(というか、その背後にいる指導医の見解と思われる)

血圧高めも脳に血流が多く行くから良い、糖尿病対策もまずは薬に頼らず食事で、

と卓文さんの意見とみごとにマッチ。素晴らしい診断と卓文さんも大喜び。

 

だが、

本日巡回で来室した主治医(古川坊や)は

『経過良好だからそろそろリハビリ病院への転出を計画しましょう。血圧が高いのが少々問題だが』

と、昨夜の見解とは全く違ったことを言った、とか。

あはは、昨夜私と会ってご託宣の山口卓文の妻と、この部屋にいる患者が同一と認識できなくて、

習ったありきたりの通常パターンの社交辞令しか言えなかったんだよね、とふたりで笑った。

本日の私は大多忙。自分自身の歯医者(半年に1度のクリーニング)が9時半、

それから区役所で介護保険の申請、近所に通所リハビリ施設を見つけ視察、デイケアセンターへ申請、

帰宅して美味しいおかず(もやしのナムル・ほうれん草の胡麻和え・沢庵2切れ)を作って病院へ。

その分のカロリーは、私が卓文さんのご飯をこっそり食べて収支決算プラマイゼロに。

緑茶がうまいと大喜びの卓文さん。

今日は500ccで足りなかったから、明日は1リットルのポットを持っていこう。

21  Feb.

19日の続き。久しぶりの休日(前回の休日は4日前だったが、卓入院の騒ぎで終った)は多忙な一日。

友人2人に沢庵、新潟にごま油、彩香にダイエットフードを発送して、我が家が少々すっきり。

水道料金を払い、銀行間を行き来して月末対策終了。で、面会時間となった。

15時面会時間のスタート少し前に病院に着くと、面会者が長蛇の列でびっくり。

地域医療支援病院、で2週間で追い出されるという病院なのだ、と改めて実感した。

気働きの素晴らしい『補佐の中村です』(多分病棟ナンバー2の意味)という看護師に出会えたのは僥倖。

ソーシャルワーカーのアポ、個室への移転、他科受診の可否など、漠としていた事柄が次々に明らかになる。

あとでわかったが、中村さんは新潟出身。直江津と糸魚川の間くらいらしい。親密度増大。

リハビリ担当者の訪問を受け、どういうリハビリをするのかも目の当たりにした。

病室入口の名前に赤や黄色のシールありも発見。緊急度を示すものと思われる。

退院間近は黄色、卓文さんや入院直後は赤、と察する。これが黄色になれば個室移転可能か。

最初の看護師の『希望者多数で順番待ち』には、落胆と失望と我慢、というマイナスの感情が生まれたのみ。

だが、中村さんの説明、

『まだ目が離せない状態なので、ナースステーションの前で我慢してください。

状態が良くなったらすぐに個室に移します』の説明には、希望と期待が生まれた。

看護師の言葉の持つ重大さ、影響力の大きさに感じ入り、中村さん信者となった。

卓文さんの自主リハビリの努力には恐れ入る。着々と進化している。

本格的なリハビリのための病院探しが私の当面の仕事だ。

5時間はあっという間に経過。じゃ、また明日の夜ね、チュッ! は入院4日目からの習慣。

 

昨日は、そうだ握力の練習に、とテニスボールを購入。持参して持たせてみるとびっくり。

私が取り戻そうと思っても、抜け落ちないのだ。握力はもう合格ライン。

あとは目的物に直線で辿り着けるよう、ゆらゆらとしないよう、これは肘から下の筋肉の訓練かな。

(リハビリ先生の診断で、後でわかったが、肩の筋肉の低下だった)

人間の頭には、頸動脈が左右2本ずつあるのだそうだ。

卓文さんはそのうちの1本が閉塞、2本が51% 54% の狭窄との説明。

もう1本のデータは『normal』とあったが、どういうふうにノーマルなのかの説明はなかった。

今回の脳梗塞は、その『閉塞』が原因か、あるいは別の血管の狭窄閉塞が原因なのか、の説明もなかった。

脳梗塞の原因は3種類あって、卓文さんは血管の中にコレステロールがヘドロのようにこびり付くタイプ。

欧米タイプの動物性油脂の過剰摂取など、暴飲暴食が原因らしい。

狭くなった血管に負担をかけないように、今後は血液サラサラ状態を保つ必要がある。

適度なアルコールは、血流を促し血管を拡張する効果があるそうで、ちょっと嬉しい。

タバコは血管収縮に繋がるので、諦めてもらおう。

 

連絡をした親族や一族にも伝えたことだが、卓文さんの強運と、この時期に発症した幸運を改めて思う。

4~5日に1回しかない、私の休日に発症したことは奇跡に近い。だからこそ早期対応ができたのだ。

そして本人は塾への復帰を目標に頑張っているが、今ならそういう気力努力を継続させるだけの若さがある。

これがもし、10年後だったら、まず今よりも確実に病状は重篤になるし、

リハビリへの努力も、今のように真剣にやる気力が湧かなくなってしまっただろう。

『ああ、親父と同じ病気になってしまった、これで自分の人生はもう終わりだ』

なんて、ウツになってボケ進行、でひたすら下降線の人生になってしまったかもしれない。

 

卓文さんと私のコンビは、神様がふたりの幸せのために作ってくださったのだと思う。

これからもずっとふたりで、手を取り合い目を見合い心を寄り添いあって、人生を全うしていきたいと思う。

 

19  Feb.

昨夜、仕事帰りに病院へ。

救命救急センター病棟へ行ってみると、前日移動になった4人部屋に卓文さんがいない。

『あれ?』とウロウロしていたら、看護師さんが来て、『一般病棟5階に移りました』

おお!そこまで緊急性が低下したか、と喜んで5階へ行く。が、病室は6人部屋で、更に劣悪な環境。

すぐさまナースステーションに行き、個室希望を伝えるも、希望者多数で順番待ちとのこと。

仕方ないね、と卓文さんも納得して我慢するしかない。

こんな時、よしき夫人だったら、

そこをこう突つけば、順番を超えて即座に個室に入れる、なんてルートを見つけられたのに、

と、名もなき一庶民の無力さを感じた。(もうワイロの効く時代ではない)

 

主治医の古川先生(っていうか『坊や』)の姿もなく、どの部署が卓文さんを管理しているのかも不明。

退院間近のボケばーさんが看護師の袖を掴んで離さない。

『○×さん、他の患者さんも私を待っているから、また後にしてね』

なんて声も聞こえ、その他の看護師も駆けずり回っている。

という状況の中で、ソーシャルワーカーの予約はどうなりましたか、なんて聞ける雰囲気は全くない。

明日の私は休日で、面会時間スタートの15時から行動できるから、

その時に対応するしかないな、と諦める。

 

そうそう、書き忘れていたが、その古川坊や、搬送直後にMRI映像を私に見せて、

『ご主人の脳梗塞はこれが初めてではありません。過去に5回起こしています。』

首から頭のてっぺんに向かってPCのマウスをクリクリすると、これが顎です、これが鼻です。

で、画像がまるで百科事典のページをパラパラするように断面写真が写され、

『はい、この白い影が2つ、脳梗塞です』さらに目に近いところに『ここにも2つあります』

そこで私が『ああ、右足の指先が痺れていると言っていたのは、

きっと本人の自覚のないところで起きたこれらの脳梗塞が原因だったのですね』

に対して無言だったのが、17日に4人部屋移動の時、再び会えた時、

『右足先の痺れは脳梗塞が原因ではありません。梗塞の部位は右足の運動を司る場所ではありません。

ですから痺れは糖尿病が原因でしょう』と即答した。

(ほほう、指導医の指導を仰いで答えを見つけたな)

と私はひそかにほくそ笑んだことがあったのだ。

卓文さんは、

『あいつはヤブだ、何にも知らない』と憤って私に訴えたが、

あのね、救命救急にいるのは、みんな坊やなの、ヤブが茂るほど成長したのはいないのよ、

そういう坊やを育てるためにも、あなたのように軽度の患者が必要なの、

と笑った。

 

本日の卓文さんは、私のいない間に随分練習したらしく、左手はかなり的確な動きをするようになっている。

脳梗塞のお勉強を毎日怠らない私が見つけた記事を元に、段ボール箱を持参し、

左足の先にその箱を置き、足首を90度に曲げて置く姿勢を、私がいる2時間継続した。

何しろ『急性期』3週間のリハビリ、『安定期』3ヶ月のリハビリが、絶大な影響を及ぼすらしい。

九州の脳神経科の教授が、脳梗塞から奇跡の復活をして、今も現役の教授をしているHPを見つけた。

その手記が冷静な判断と医学的な正確さで、かなり参考になる。

 

明日は休みだ、少しリラックスしよう、と昨夜久しぶりに焼酎お湯割りを飲んだ。

いい気持ちで酔っ払って早めに眠ってしまったら、今朝は4時半に目が覚めてしまい、

眠れないからエイヤッと起きてこの日記を書いている。

いつもはシャワーだけれど、これからゆっくり朝風呂に入って、今日も一日有意義に過ごそう。

17  Feb.

一昨日、15日の朝8時、ドタンという音で目が覚めた。

『まちこ、まちこ』と卓文さんが呼んでいる。

ダイニングの床にハイハイの状態で卓文さんが倒れていた。

『トイレに行きたいけれど立ち上がれない、左足に力が入らない』

左手を支えて右足で立ってみたら、と試すも無理。

バケツを持ってきてその場でおしっこ。

トイレに流して戻って、何とか座った卓文さんに様子を聞くが、

どうしたんだろう、大丈夫、きっと治る、と要領を得ない返事。

そうだ、と思いついて血圧を測ると、228/133

『頭だ』と即座に判断。

救急車呼ぶね、と言うと、PCで見ていたNHK大河ドラマを見終わってからでいい、と言う。

そんな悠長なこと言っている場合じゃないよ。

と119コールが8時半。

5分で来た救急隊員に、行きつけの病院は、と聞かれ、

高血圧と糖尿で横浜労災病院にかかっている、と答え、

受け入れが確認されてから出発。

救命救急センターに着き軽い問診のあとすぐにMRI検査。

脳梗塞が確認された。

11時になり、とりあえず日能研に電話。

本日の休講をお願いし、最短でも1ヶ月は休むことになることを伝える。

病室が確保され移動。入院手続きをして、必要なものを準備するために、14時半帰宅。

九州かおるさん、新潟パパ(来週行く予定をキャンセル)に連絡。

マンパ社会保険(来月から扶養を外す予定のキャンセルと、高額医療申請書の依頼)

マンパ新宿へ、明日からの早退依頼。

病院へ持っていくものの準備など多忙を極めたが、1時間後に病院に戻る。

点滴に鎮静剤は入っていない、とのことだが、卓文さんはこんこんと眠り続ける。

20時面会時間終了で、『明日は仕事なので18時に来ます』と看護師さんに伝え帰宅。

かおるさんにその後の状態を再度伝え、スイスママにも伝え、それからネットで脳梗塞の勉強。

気が昂ぶっているせいか眠れず、1時半に催眠剤1/2錠を飲んでベッドに入った。

かおるさんの知識に、労災なら先進医療してるだろうから、

24時間以内に治療できれば確率の高い治癒率のものがある、とのことだったが、

それよりもまた医学は進んでいて、

発症から4.5時間以内だったら絶大に効く溶血剤が出ていることがわかった。

実は発症は明け方の4時くらいだったらしい。

トイレに起きてうまく歩けなくて、あちこちを伝い歩きながらPCの前までたどり着き、

低血糖か、時間がたてば改善されるだろうか、といつものようにPCのドラマを見ながら、

せっかくの休日の朝だから、私をゆっくり眠らせてやりたい、と卓文さんは考えたようだ。

その時点で私を起こしてくれていれば、と思うと、卓文さんの優しさがアダとなってしまったようで、

やりきれなさが拭い去れない。

昨日の朝は、催眠剤を飲んだにも関わらず、6時に 目が覚めた。もう眠れない、で起きた。

何かしよう、何かしていなくては精神的に参ってしまうだろう、と考え、

そうだ、卓文さんが今度帰宅する時までに、安全な我が家にしよう、

いらないものを捨ててすっきりさせよう、と思い至った。

ゴミ袋を用意し、じゃんじゃん捨て出した。

気持ちが切り替わると、こんなに物って捨てられるんだ、と我ながら感心した。

スイスママに荷物を出し、少し早めに出勤。

当分の間、17時での早退を依頼したので、状況説明のため。

病院到着は新幹線を使ったが、18時10分。

ちょうどリハビリ担当の人の説明を受けていて、

その中に『2週間後に退院の目途で進めています』

の言葉に、卓文さんが『2週間後に退院ですか』とニカーーッと笑顔。

2週間後には、2月14日状態の自分が、このマンションに帰れるのだ、と思ったのだろう、

と思うと、かわいいやらかわいそうやら・・・

昨日より意識ははっきりしていて、5分くらいの会話は成立するが、

その返事をしている間にまた、コトンと眠ってしまう。

右目がよく開いていない、左の唇の動きが悪い。

昨夜勉強した脳梗塞の症状で、1週間以内に再発する危険性が高い、とあるので心配した。

退屈だからラジオを聞きたいと言う(本音はアイパッドでBBC放送を聞きたい、だがNG)

明日持ってくることを約束し、20時帰宅。

旅行から帰ったゼロと延々と電話して、ハイニの話と卓文さんの話がドンピシャリでふたりで大笑い。

ハイニも病院を出される=自宅で普通の生活が再開できる、と勘違いし、

ひとりで服の脱ぎ着もできない状態(交通事故で骨折数ヶ所)の認識がなく、

ゼロの手配でシンスナッハに入院し、リハビリの日々を過ごしたのだ。

さすがに昨日の睡眠不足が影響して、23時には眠ってしまい、今朝は6時半起床。

洗濯、シャワー、荷造り、整頓。

よく働く、というより体を動かしていたほうが、気が紛れる。

出勤し、複数の上司に励まされる。でも私は元気、前向き、不幸じゃない、充実している、卓ちゃん大切。

東横線でノーマルに病院に行ってみたら、新幹線より速かった。

病室に着いて看護師さんにソーシャルワーカーへのコンタクトを依頼し(リハビリ病院へのスライド要請)、

卓文さんとあれこれ話していると、病室移動の通知あり。

ナースステーション前のドアなし24時間監視体制の一人部屋から、ノーマル病室4人部屋へ移動となった。

ということは、緊急性が少しは低下した、ってことだね、とふたりで喜んだ。

しかし、ゲホゲホと汚い咳をする向かい側、うんちだおしっこだ、とうるさい隣り、と環境は一気に劣悪化。この環境であと10日を過ごすのは、ちょっと辛いものがある。

個室を検討することを考えた。

本日の卓文さんは、まったく眠らず、2時間近くずっと私と会話した。

左手のリハビリも私とした。(が、全く出来ない状態)

2週間後の退院のあと、リハビリ病院への転院も理解した。

脳梗塞患者は、意思が強いとウツになり、意思が弱いとヒステリーを起こすらしい。

それでかぁ、と納得したのは、入院手続きの時に、

患者が暴れたら拘束衣を使用することを認めます、ってのにサインさせられたのだ。

卓文さんは、意思が強い派だから、ヒステリーではなく、ウツのほうだ。

でもまだ、ウツ状態にはなっていない。大丈夫なことを願うのみ。

明日は髭剃りとシェービングクリームを持ってきてくれ、と言われ、20時帰宅。

かおるさんに状況の好転を伝え、スイスはふたりとも電話に出ず、

この家変身の準備のために、ネット検索や登録、買い物などをしたあと、

この日記を書いて、もう24時。催眠剤で寝ます。

What's New

*新春のご挨拶 2016/01/11

*2012年のGarden を新設。

 2011年のものは右上をクリックで。

*百草園の蠟梅

 (もぐさえんのろうばい)

 をご覧ください 16/01/2012

* 久しぶりのMovie

 とんしーあぶを載せた

 27/12/2011

*きょうは20111111

 20+1並びの日に

 一番でっかい はつか大根を収穫

*彩香のあぶちゃんが産まれた。

 明日は退院を手伝いに行く予定。

 だから本日は菜園の手入れに専念。

 01/11/2011

*you tube の登録を済ませ、ギャラ

 リーに動画をアップ 07/10/2011

*ほぼ10年ぶりにHPを作成しようと思い立った。 さてどうなることやら・・  03/10/2011