31  May

多忙な月末ということで21:30まで仕事だった私は22:30帰宅。

ベッドに寝ていた卓文さんにただいまのチュッ。(まだ眠ってはいなかった)

明日は午前中『訪問介護の吉田さん(理学療法士)』の訓練1時間(卓文さん一番のお気に入りリハ)

のあとは、3ヶ月ぶりの出勤です。

授業の内容についてあれこれ言う立場にはないけれど、往復は心配だから同行する予定。

というのも、本日の3回の安否確認電話の際に、

『綱島街道を大倉山に向かって歩いているんだけど、歩き方忘れたみたいに躓いたり転びそうになったり』

という報告を受けていたのだ。

昨夜、催眠剤を1錠飲んで寝たら夜中のトイレがもうろうとして危険だった、でその後ソファで仮眠した、

という卓文さん、睡眠不足がたたって歩行困難になったか。

記念病院の伊藤さん以来、信頼度の高い吉田さんの言葉に、

『片麻痺の人が歩く、というのはその人の持っている運動能力を最大限に使っているから、

ちょっとの不備で歩けなくなる。私の経験でも昨日スタスタの人が、1℃熱が出ただけで歩けなくなった』

とのアドヴァイスがあったから、睡眠不足は充分に歩けなくなる理由となるだろう。

なかなかに、前途多難です。

30  May

この1ヶ月、毎日×3食を手作り、家事全てをひとりでする私は本当に多忙である。

卓文さんがリハに出かける、週2回のこの3時間のみが私に許された、自分だけの時間。

日記更新もままならないが、それでも卓文さんと共に過ごせる時間は充実していて貴重である。

ウツにもならず、ヒステリーも起こさず、本当に努力の人だ、と感心する。

私の予想に反して、自主リハは毎日6000歩を着々と実行しているようだ。

私にできることは、側面からの応援のみ。

25 May

1週間が経った。卓文さんは6月1日から職場復帰。週2日5コマだ。

今日はそのリハーサルの意味も込めて大船まで出向いた。片道1時間半、というところだった。

百均で少しの買い物、そのあと商店街を散策して戻った。

次回は本番、私も同行するつもり。

 

谷中商店街の時は5000歩で疲れ果てて帰宅後昼寝をした卓文さんだが、今では8000歩あるいても大丈夫。

随分体力がついている。この調子、この調子。

17  May

9日から始まったリカバリータイムズのリハは、ハードで有名とか。卓文さんは気に入っている。

10日から3泊4日で伊豆に行った。最初2日は雨にたたられたがその後2日は快晴。

卓文さん念願の『城山を見ながら川辺を散策』も実現し、木陰で焼きおにぎりやわらびのランチも楽しんだ。

グリプラからは野菜やジャムを新潟・相模原・沖縄へ発送。彩香への野菜が半分冷凍で到着、でクレームも。

14日は近所散策のあと、綱島ベローチェで待ち合わせ、15日は電車で谷中銀座商店街へ、鰻と鯉の洗い。

16日は私が仕事で、卓文さんは午前通所リハ送迎付き、午後は自主リハ、夜22時眞帰宅、23時就寝。

 

15日帰宅後、自転車での訓練を思いついた卓文さんにとって衝撃の事実が分かった。

『左半身の麻痺』は、すなわち体幹バランスの初期化をも意味する。

つまり『自転車に乗れない人』になってしまっていた、ということだ。

これはつまり『泳げない人』をも意味する。

詳しいコメントは言わなかったが、かなりのショックだと思う。

今後どう向き合っていくのか、私はそれには触れずに付き合っていく他にない、と感じた。

 

本日は卓文さんは労災病院、私はもうひとつの通所リハ、リハプライドとの契約。

労災病院は『治験患者』ではなく、リスキー度の高い患者としての認定があったそうで、

3ヶ月に1度の通院を勧められ、松田俊一医師に感心した卓文さんは承知したようだ。

09  May

6日(金)はGW中の貴重な平日。でスイスへの荷物を郵便局に出すついでに、国本クリニックへ。

見学を希望し、本日14時に、と約束を得る。遠出の散歩は諦め14時を迎え見学。

その結果、神経内科専門医のDr.国本との接点なし、神経内科診療とは隔絶した、介護保険のリハ、と判明。

内容もリカバリTと類似、近所ではあるが雨が降れば通いにくい、送迎もあるが、それもリカバリTと同様。

で、国本に変更することに、あまりメリットがあるとは思えない、という結論。

プラスは医療器具が多い、マイナスは理学療法士が一人だけ、で変更しないことに決定。

それからバスに乗り、鶴見まで。私の用事で銀行2軒を回り、ドトール満員で隣のミスドでコーヒー。

更に電車で蒲田まで移動、駅前の商店街を散策し、卓文さんの大好きな居酒屋街も発見。

でも喫煙者の多い灰皿のある居酒屋は、まだタブー、と禁煙の寿司屋で夕食を摂ることにした。

そこで日本酒を1合半、とたんに卓文さんの歩行が怪しくなった。

辛うじて電車、バスを乗り継ぎ、いつもの3倍くらいの時間を使ってバス停から自宅まで。

『いやぁ、懲りた懲りた、もう外ではお酒は呑まない』という体験をした。

 

次の7日(土)、観光地ではないところに行こう、で見つけた蒲田の次の駅『梅屋敷』商店街を散歩。

喫茶店に入り和定食の店を探そうとアイパッドを開いたら異変が! 電池空っぽ充電不可瀕死状態。

ランチどころではなくなって、バスに乗り蒲田へ到着、駅前のドコモショップを探すも駅の反対側。

知らないところをウロウロするよりは、と鶴見に戻りバスで綱島へ。

その時卓文さんは、昨日と同じ誤った行動の提案をした。

『あなた発病以来、自分が今いる場所からの正しい移動方法、という認識が低下していない?』

の問いに、『僕もそれを感じている』との答え。2ヶ月半の隔離生活の影響か、更なるリハが必要と感じた。

綱島到着、バス停前のいつものソバ屋で天ぷらそば、そして行きつけの綱島のドコモショップへ。

すると、ドコモショップでは治せない、渋谷か銀座のアップルストアに行けと言う。

時刻は16時、明日は仕事、明後日も大多忙、よし、と決断し、その足で渋谷に向かう。

(卓文さんはバスに乗って帰宅)

渋谷のアップルストアにはすいすいと着いたが、大混雑の店内で待つこと30分、

結果異常なしで飛行機モードにすることを教えてもらい、大倉山経由で19時帰宅。

体重計に乗ってみると、ふたりとも1kgデブになっている。

3食しっかり食べるのは剣呑だね、少しセーブしなくちゃね、とふたりで反省。

 

昨日8日の朝食はローカロ海藻・野菜・きのこ中心のヘルシー路線。

わたしは仕事、卓散歩、夕食もウドと厚揚げの煮物、レタストマト玉ねぎ鶏ササミのサラダ、で終了。

22時に眠ったら、ふたりで夜中の2時に目が覚めてしまった。

しばらくおしゃべりをして、卓文さんは4時にもう一度眠った。

わたしはこの日記を書いて5時を迎え、夜が明けてきた。

本日から1週間のロングバケーション。明日から3泊4日で伊豆に行く予定。

05  May

私の休日の3日。電車訓練をしよう、と尾山台まで行く。

目的はドイツ人御用達ソーセージ店『dadacha』(ドイツ語ではなく奥様の出身山形のダダ茶豆)ダサ…

電車の乗降で新たな発見あり。

席が空いていても、動き出した電車の中では座れない→次の駅に止まった状態で座る。

電車のドアから遠い席が空いていても座らない→降りる時に電車が止まってからドアまで、が間に合わない。

などをわたしが学習した。

尾山台商店街の『八百屋ジャズ』で魚沼産の野生ウド、北海道産のふきのとうを購入、

更科そばのランチ定食の後、目的のソーセージ・ハムを購入。帰宅した。

 

4日午前、ケアマネ足立さんとリカバリータイムズ指田さん来訪で契約。

月曜日午前中、週1回の契約。

要介護1は、申請が早かった(発症後8日目)せいでの評価で、

今の状態では要支援1も難しいくらいの素晴らしい進歩と足立さんの言。

従って7月の次回認定調査は、区役所の別な人の査定をお願いする予定、と足立さんの言。

卓文さんの演技力に期待。

 

本日の私は21時半まで仕事。今帰ってきたら卓文さんはもう眠っていた。

(22時就寝の習慣が身についたから先に眠っていてね、と伝達済)

わたしの作った左指特化の教本(adsfdas afdasda)みたいのが、脈絡がなくて難しすぎる、

というので、本日会社の暇な時間にこっそりと作った、『意味のある左指特化』を印刷。

・様々な現象が発生して不思議に思った。

・二人で飾り立てて作ったデザートを早速食べた。

・赤ちゃんはぐずってばかりだからさっさと眠らせたい。

など、なかなかの力作、と自画自賛。

明日からの卓文さんのリハビリに生かしてもらおう。

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