本日は15日。
発症からちょうど2ヶ月が経った。まだ寒い冬だったあの日。つい先日みたい、でもすごく昔にも感ずる。
卓文さんにとっては、長く辛く苦しい煩悶と苛立ちの2ヶ月だっただろうが、
前向き思考と弛まぬ自主リハの実行によって、ウツにもならずに驚異的な進化を遂げている。
私も、ひとりでの2ヶ月に及ぶ横浜生活という初体験を有意義に生かし、我が家を驚異的に変身させた。
これは『90°クリッと廻れる』スイスママの気質を受け継いでいるのかもしれない。
今後の生活も卓文さんと一緒に、90°クリッと廻って違う楽しみを見出し、毎日を楽しんでいきたい。
今はもう桜も散り、今朝の電車の中から、春爛漫の霞の向こうに富士山が見えた。
伊豆に行きたいという卓文さんの希望も間もなく叶うだろう。
私の2連勤が終わり明日から2休で、卓文さんは2泊の外泊訓練第二弾だ。
新宿小田急百貨店の五右衛門豆腐が、本日も5のつく日で3割引きだったので、
昼休みを利用して豆腐・がんも・厚揚げを購入(3割引きを知っている常連たちでごった返していた)。
八百屋でれんこん・筍・水ナス・おくら・しそ・トマト・ルッコラなどを購入。
明日からの6食を卓文さんに楽しんでもらうために、昼休み1時間はすべて買い物で費やした。
私の食事時間は、仕事前にブランチを、夕方の休憩に軽食ディナーを会社で食べておしまい。
帰宅して今体重を測ったら、洋服を着たままで 50.5kg だから、裸になれば50kg以下だろう。やったね。
卓文さんの退院後、一緒の散歩で運動量が増えれば、もう少し多く食べるようにして筋肉を増やす。
これでスイスママみたいに、健康で長生きができるだろう。
明日は9時出発で、昼前に帰宅予定。昼ご飯は『筍ご飯』を含めた野菜料理のランチの予定。
これから調理下ごしらえを頑張ります。
昨日のドクター面談で退院予定日とその後の方針やするべきことが明らかになり、
その対応のため本日の私は仕事前・中(休憩時間)の空白時間を使い、大多忙。
今後の糖尿病・高血圧・高脂血症改善のための病院探し(卓文さん希望は白楽の朝日内科クリニック)。
卓文さん希望の『退院後伊豆へ行ってリハビリしたい』の際の、伊豆長岡リハビリ病院受け入れ可否の確認。
で、それぞれに電話し、朝日内科クリニックは予約不要、夕方が空いている、と判明。
伊豆長岡リハビリ病院は、午前中限定の院長診察を事前に予約し、それにより通所リハビリは可能、と判明。
卓文さんの携帯はピッチなのだが自宅内でも時々圏外になってしまうのでNGと判断、ドコモにMNPして、ひとりで自宅で過ごす時(私の出勤後)は首からぶら下げておく→万が一の7回目脳梗塞発症に備えて、
のために携帯屋に問合せMNP番号の予約方法を聞く、など、
『ど~こまで続くゥ~よォ~眞~知子の多忙ォ~』状態。
その隙間に卓文さんに電話、上記行動の1/4くらいの事を報告するが、卓文さんは完全には理解できない。
『そういう事柄に対して、僕は何をしたら良いの?』
(実は何もしなくてよい、私の行動予定の報告だから)
昨日のドクター面談でも話題に出たが、今回の脳梗塞は『運動機能』を司る場所の梗塞だから、
知的障害は全くない、との診断だったが、
発症以来、私が『???』と感ずる卓文さんの理解能力や感情の発散に関して、これが3回目だ。
決して感情的には激せず、常に相手を思いやる心が完璧だった卓文さんが、
相手(私)の行動が自分の希望に反することに対し『イラつく』状態を伝える言動が発症後2回あった。
10年間一緒に暮らしていた間、私に対し『八つ当たり』することなど一度もなかったことだ。
卓文さん自身は気づかずにいるが、やはりストレスがあるのだろう。
午前中、ゼロのプレゼントの一部である『水回り5ヶ所プロのお掃除』でふたりのイケメンお兄さんが来て、
風呂・洗面所・トイレ・台所換気扇(機械が古く分解不可→最大の難関だった)・台所シンクを徹底掃除。
『3~4時間で終ります』が、5時間かかった。理由は換気扇。でも料金は最初の提示4万円+消費税でOK。
思わずふたりにチップを千円ずつあげた。
14時過ぎに病院へ。バランスボールを使っての腹筋を鍛える訓練の真っ最中だった。
よしよし、バランスボールを購入して自宅でもしよう、と決めた。
その後16時に、ドクター&社会福祉士との面談。
労災病院で私だけ見せてもらった脳のMRI写真を卓文さんも見て、自分の頸動脈の状態を納得判断。
退院後の血液サラサラ維持の必要性も充分に自覚。
器具は簡易バージョンで決定、退院の目安も私の休日を考慮し、24日か26日に決定。
その後、通所リハビリか訪問リハビリかは、地域ケアマネジャーとの話し合いで決めることになるらしい。
ちっとも届かない介護保険証にしびれを切らし、区役所に電話。
なんと、ようやく本日判定会議があり決定で、あす発送とのこと、決定内容は教えてもらえなかった。
退院後のリハビリと社会復帰、塾への通勤へ向けての復活にはまだまだ時間がかかると判断。
でも、夕食時に倉橋さんが、『退院ですか』と羨ましそうだった。
9日18時、病院へ迎えに行く。そのバスの中からの観察で、反対車線がバス停4ヶ所分の大渋滞だったので、
乗ったタクシーの運転手に、そこを通らずに第三京浜での迂回を指示。それが大正解で19時前に自宅到着。
すぐに夕食の予定(セットは朝のうちに完了、冷蔵庫から食材を出すだけ)が、
食前に義務付けられていた血糖値計測のための、我が家の血糖値計測の器具が、3年ぶりの労働に反発し、
(結局電池切れ寸前が原因で、下のコンビニでの新しい電池購入でようやく従順に働いた)
夕食開始が19時半になってしまった、が予定通り、湯豆腐と芋焼酎90ccで宴会スタート。
『旨いなぁ~~』と感激の卓文さんだが、途中で、『さて、このへんで一服』とタバコを吸う真似。
今成朗さんの情報で、脳は3ヶ月間は『元通りの生活に戻りたいっ!』と命ずるそうな。
(だからこの病院の最初の診断『入院3ヶ月』も、そういう意味では『あり』だよな、との朗さんの見解)
発症から2ヶ月、自宅での元通りの生活=ほっとしたらベランダで一服、の習慣が生き残っている卓文さん。
そうか・・・私はもう『一服のない自宅生活』が習慣になっているが、
卓文さんが『一服のない自宅生活』を習慣にするためには、あと1ヶ月が必要なのだ、と改めて認識した。
22時、眠剤も不要という卓文さんと2ヶ月ぶりに一緒のベッドでお休みなさい。(私は眠剤半錠)
10日は正しい日本の『美味しい』朝食、が7時半。
その後私はHPをアップしたり、卓文さんはあちこちを探検(なんてったって『よそのお宅』状態)したり、
で、あっという間に2時間経過。10時に左足の器具を装着して、散歩開始。
最初の目的地は私が見つけたスパルタリハビリ『くにもとクリニック』(退院後の通所リハビリ予定施設)
そこまでが30分(多分私の足では10分)。
次の目的地は、退院後にお世話になるだろう『樽町ケアプラザ』まで40分(私の足では12分)、
で、『もう帰る』と言うと思いきや、『天然酵母のパン屋まで行きたい』と仰せ。
私だけスタスタ歩いてパン屋まで行き(日曜日だから営業中かの確認)営業中とわかって卓文さんと到着。
丁度12時で、ランチにサンドイッチをいただく(病院食の10倍旨い、と店主に報告)。
それから自宅に戻った。正味2時間半の歩行訓練。えらいえらい、と感心していたら、もう一回歩くと言う。
午後3時、大曾根商店街を1時間の散歩。左足にも同じように体重をかけ、バランスを配慮して歩く。
(この3時間半の散歩が効果あったようで、本日の理学療法で伊藤先生が『大分進化した』と感心)
いつものスーパーで菜の花購入、いつもの肉屋で焼き鳥4本購入。
帰宅し卓文さんは和室に椅子を持ち込んでテレビ、私は野菜料理を4種類製作。
18時、ビールで夕食開始。本日3回の血糖値計測も99~115と、なかなか良好な数値でグッドだ。
その後のシャワーもなんなくクリア。外泊訓練は有意義のうちに終盤を迎えた。
本日は朝食7時半で、8時半にタクシーを呼び病院へ。
きんぴらごぼう・菜の花の辛し和え・アボカドのわさび醤油・筍の山椒煮を冷蔵庫にしまったところで、
4月から新しく担当になった入澤ドクターの来訪。卓文さんお気に入りのイケメン整形外科ドクターだ。
(前任の前田 内科女医ドクターとはどうも相性が良くなかった)
その入澤ドクター曰く『今の装具は大げさで高価だから、もっと簡便な装具に変更して訓練してみよう』
で本日から新しい簡便装具を使っている、とのこと。ところが簡便なだけに大した働きをしないようで、
装具ありとなし、の差がよく分らない状態。
1週間ほど使って慣れてたところで、良し悪しの判断をする、という事になるだろう、との卓文さんの見解。
次の私の連休、16~17日の外泊届をする、とふたりで決めて、本日の電話は終わった。
昨晩は20時まで、本日は21時までの労働。は~~。(本当は明日も20時まで勤務の予定)
だから昨日は3回の電話。そして本日朝もおはようの電話をした。
本日の昼休憩の時、2度目の電話(頑張ってる?) をすると少々興奮気味の卓文さん。
伊藤先生のリハビリがあり、その時得た新たな三つの情報の報告。
1.卓文さん専用の左足の器具を来週早々にも注文の運びとなり、早ければ来週末には入手できる。
(今使っているのは病院の備品)
2.何だか忘れた。明日もう一度卓文さんに聞いてみよう。
3.これが興奮の原因。外泊訓練を明後日10日に行ってもよいが、次の日奥さんは朝早い出勤。
それならば、明日の夜のうちに迎えに来てもらって、2泊にしたらどうか、との伊藤先生の提案。
(まだ公共交通機関の利用は不可、ひとりでの外界の行動も不可で私の介助が必須)
その報告を受け私は昼休憩の後、すぐさま統括窓口に行き、
『明日の早退は可能か』との問いに対し、『17時以降なら可能』との回答で
明日の18時には病院に迎えに行くことにした。そうなれば夕食は自宅で摂れる。
と、卓文さんお気に入りの秦野の『五右衛門豆腐』を新宿小田急百貨店で買い求めた。
『湯豆腐と1合の日本酒』で、外泊訓練おめでとうの宴会ができる。
(但し夕食は19時、1時間で切上げ。22時には寝る=せっかく病院で身に着けた健康生活、これを遵守)
明後日は、『野菜オリーブオイルとワイン2杯』のさよなら宴会かな?
この日記に書くチャンスが今までなかったのだが、
3月11日卓文さんが世田谷記念病院に転院してのち、私は夕食を18時過ぎに病室で一緒に摂ることにした。
病院食を少し残して病室に戻った卓文さんと一緒に、私が作った野菜料理を一緒に食べる。
それと同時におむすび屋さんの権兵衛で買った『玄米おむすび』と何らかの蛋白質を追加が私の夕食。
そして帰宅後は一切食物を口にせず、焼酎お湯割りだけ、あるいは焼酎お湯割り+眠剤だけ、にしたら、
みるみる体重が減って、50kgを少々下回る40年前の体重に戻ったのだ。
当然血圧も低下、朝の目覚めもクリア、と卓文さんの脳梗塞効果は、私の健康にも役だっている。
深夜寝るまでの宴会がいかに健康に悪かったのか。
ひと駅手前で降りていっぱい歩いたりして努力したけど、ちっとも体重が減らなかったのに、
この1ヶ月の『夕食18時』(それもタラフク食べている)だけで!!
と驚愕の結果になっている。
この二ヶ月、朝6時起床、夜22時就寝の習慣がついたふたり。退院後も続けましょうね。
待望の帰宅訓練は、あっと言う間に終了した。
14時半タクシーを呼んで自宅へ。
自宅前で待っていた理学療法士伊藤先生が、タクシーから降りた卓文さんを介助しながら階段クリア。
自宅内での様々な行動はすべて、ほぼ満点合格。最大の難関、『階段を下りる』はギリギリ合格。
このマンションは建築が古いので、階段一段の高さが20cm あるのが難点なのだ。
1時間半で訓練は終了。タクシーで病院に戻った。
元気森田さん(卓文さんの主任看護師)に会い、『どうでした? あとで伊藤さんに聞こうと思ってるけど』
の卓文さんの答えは『女房の家にお邪魔してきました』(というほどスッキリクッキリ、よそのお宅状態)
彼女には、『つかまった時に動くキャスター付きの家具は全部捨てました。重い木製の家具を連結し対応』
と伝えてあるから、十分に想像はついていると思われる。
夕食後の病室でのおしゃべりで、『この病院から感謝状をもらえるかもしれない』と冗談のように言う。
どういうこと? と聞くと、入院当初の廊下は閑散としていて誰もいなかったのに、
卓文さんが毎日毎日自主リハをするようになって、自主リハをしなくてはいけないような風潮が広まり、
最近は多くの患者さんたちが廊下で自主リハをするようになってきたのだそうだ。
すごい!
スイスママもゾンマットで、常に無言で食事していた人々に、『グーテンモルゲン』と挨拶をし続けて、
今ではすべての住人が、挨拶をし合うようになった→そういう風土を植え付けた、という快挙があったが、
同じような効果を卓文さんは、世田谷記念病院5階フロアに蔓延させたのだ。
うちの一族って、本当にすごい。社会に対して良い効果を与える、という無意識の社会貢献をしている。
ゼロから2回目の花が届いていた『帰宅訓練おめでとう』。
病室がまたまた華やかに。メールで礼状を出したようだ。
美保さん経由での朗さんの、『現状での卓文さんの全身状態から推察する今後の人生の可能性』
についてのアドヴァイスもありがたかった。
通常なら『セカンドオピニオン』として医療費を払わなくては得られない情報を、タダで教えてくれた。
医療関係者が身内にいる、ってなんともありがたい。
和室箪笥の上にあった、『いつか使うかもしれない、おせちが入っていた重箱』5年分、
『寺家(ふるさと創生地域で有精卵を売っている)で卵を買う時のための卵容器の空箱10個以上』
など、取っとく大臣のママの気質をばっちり受け継いだ私の死蔵財産を、
小気味よくさよならした45リッターごみ袋5個を出して、
我が家はスッキリクッキリバッチリの『ゼロの家』状態になった。
前回のスッキリクッキリは、ママとゼロが訪問する、というので二人で大慌てで綺麗にした4年前。
我が家では『スイスママ効果』という命名がなされたが、今回のこれを卓文さんに伝えたところ、
『あっはっは、今回のスッキリクッキリは、さしづめ脳梗塞効果かぁ』との言。
昨夜、九州のかおるさんに電話し、私の介助付きでひとり外界歩行が許可になり、
満開の桜の下を散歩してきた、6日に帰宅訓練、と報告したら、
『先日かすみ姉ちゃんと花見を楽しんできて、お兄ちゃんはリハビリで桜どころじゃないのかねぇ』
と案じていたが、それは良かった、と喜んでいた。
日本の介護保険制度で一番軽いのは、要支援1→2 要介護1→2→3→4→5 の順で、
かおるさん曰く、『きっと要支援1くらいの認定はおりるだろうから、自宅リハを頑張ってもらえば』
とのこと。
明後日の帰宅訓練は、残念ながら、『外泊』はなさそうだ。
伊藤先生は、『外出届け』を出す手続きをしたようで、『外泊届け』ではなかった。
14時出発で、17時帰院、ということらしい。
それに対して卓文さんは、あまり固執はしなかった。
退院日が重要らしい。
午前中は佐渡のコシヒカリが到着するのを待ちつつ、我が家全域にわたる大整頓の後、
自宅内写真撮影をし、それをワードに張り付けて印刷する。
主任療法士の伊藤先生(4月6日、帰宅訓練を実施)に提出しなくてはいけないからだ。
昼過ぎに病院へ。午後最初の訓練で、『外界歩行時の、妻による介助の講習』を私が受けるためだ。
これによって、卓文さんひとりでの外出(私の介助付き)が可能になるのだ。
なんてことなく、あっという間に講習は終了。
なんてったって義樹夫人だった27年間、病人の入院担当だった私の経験は、なまなかなものではない。
だから義樹さんのお父様もお母様も、何らかの理由で入院すると看病は『眞知子を』といつもご指名だった。
多分私は、理学療法士とか、作業療法士とかの試験を受けたら、合格ラインにかなり近いと思われる。
本日の訓練がすべて終了後、2時間の空白があった。
その直前のリハ担当の佐々木さん(若い女性だが『鬼軍曹』というニックネームあり)の訓練が過酷で、
(と言っても、ベッド上でお尻を持ち上げるという訓練だったのだが…左腿後ろの筋肉を鍛える訓練)
『少し休憩したい』と卓文さん。病室でコーヒーを飲んだりしていたら、あっという間に1時間経過。
バスに乗って、二子玉川まで行くのは無理、という時間になったので、近所散歩に切り替え。
初めてのひとりでの散歩。バス停1つ分を桜を見ながら、40分かけて一周。ほぼ800m。
健常時には気づかないような傾斜、窪み、路面のゴツゴツなど、難関がたくさん。
どんな状況でも右足はちゃんとそれを察知して対応する。だが左足はいちいち困難と訴える。
『右足ってほんとにお利巧、でも左足はバカだ』と言うので、
『バカじゃないよ、まだ赤ちゃんなんだから、教えてあげればいいの』
と励ます。
『こんな距離でこれだけ疲れるということは、通勤できるようになるまではまだ遠いな』と自覚していた。
夕食時、先輩患者の倉橋さんに、『6日に帰宅訓練です』と言うと、奥様がいろいろ教えてくれた。
トイレに座る立つ、浴槽に入る出る、ベッドに寝る起きる、などを実施して、
1時間以上、みっちりと自宅内のあらゆる行動を実施するそうな。
それで問題なければ、『じゃあこのまま外泊訓練に移行しましょう』と言ってくれる療法士もいるらしい。
おお! 外泊! ですか。ではゴージャス野菜夕食と祝杯のワインくらい用意せねば。
持参した、新玉ねぎのカレーマリネ、新玉ねぎのおかか和え、キンビラごぼう、トマトとルッコラのサラダ、
かぶと油揚げの煮物を、明日と明後日食べてね、で帰宅。
明日の朝はゴミ出したくさんで多忙だ。
二日間の12時間労働が終わった。やれやれ。明日は3日ぶりに卓文さんのところに行ける。
新玉ねぎのリクエストがあったのでそれを持って行く。