昨日は翻訳の原稿を渡し、新たな原稿をもらって帰宅。
明日は来られないから、でいつもより1時間遅めの20時過ぎにお休みのチュッ。
帰りにスーパーで、春の野菜をあれこれ購入。
明日の夜(つまりこれから)調理して、明後日(つまり明日)持っていく予定。
労災病院で買ったリハビリ用の靴が小さめで、親指の巻き爪が当たって痛く、歩行困難、
と、素足のままその靴を履くものだから、足がクサっ!!
先日それに気づいた私は、ネットで指先が当たらないサンダル状とメッシュ状のリハビリ靴を2種類購入。
それが本日到着予定なので、病院には寄らずまっすぐ帰宅した。
帰宅途中で卓文さんに電話を入れると、『なんだかくたびれて居眠りしていた』とのこと。
特別ハードなリハビリがあったわけではなく、通常のリハビリだったそうだが・・・
卓文さんが理学療法士に聞いたところによると、
健常者は『歩き出せ』と脳は命じるが、そのあとは脊髄が命令して歩き続けるのだそうだ。
ところが卓文さんは今、ずっとずっと脳で考えながら一歩一歩を踏み出している。
68年間使っていた『左足を動かす』命令を出す脳は死んじゃったから、脳の新しい部分が学習中なのだ。
そりゃ精神的にもハードで疲れるわいな、可哀そうに、と思ったが仕方ない。これがリハビリの現実だ。
帰りの電車の中で、杖をついてよちよち歩きの中年男性とそれを見守るような奥さんらしき女性を見かけた。
あらら、卓眞の未来図・・・でも今の卓文さんのほうちゃんと歩けるぞ。
きっとこの男性はリハビリを途中で諦めてしまったのだろう。でも卓ちゃんは諦めないぞ!! と誓った。
退院したら、自分でやれ、と言っても絶対にしないだろうから、私は自分の健康も考えて毎日一緒に歩く。
雨でも歩く。風邪で熱が出たら諦めるが、それ以外は絶対に『毎日』をやめない。
3~40分で歩ける距離に、素敵な喫茶店を見つけて、そこでご褒美のコーヒー、など、
何らかの楽しさを込めた散歩にしよう。
最初の喫茶店は私なら7分で着いてしまう、あの天然酵母&国産小麦粉のパン屋さんかな。
昼頃、卓文さんから電話。少々興奮状態。
曰く
「主任療法士の伊藤先生の見解で、残る問題は歩行訓練だけ。それ以外は順調な回復(私の知識的には進化)
をしているので、早めの退院を目指し、通院リハビリでの機能訓練へ移行する方向で良いのではないか、
それを実証するために、本日午後歩行訓練の様子をビデオに撮って、判定会議にかける。」
とのこと。やったーー!! とルンルンの電話だった。
「まだ入院して1週間経っていないし、栄養指導もまだ実施されていないし、明日あさっての話じゃないよ」
と水を差すわたし。階段の昇降、がクリアされれば、という難関を突破できたら、の話だと思う。
電話を切ってから洗濯、理学療法士に依頼された我が家の段差測定一覧に、全部の段差を測って記入し、
午後、おかずとおむすび1個を持って病院へ。作業療法士とPCのタイピング、ピンポン玉2個を回す練習。
「朝からエンドレスでリハビリ」で翻訳は思うようにははかどっていないと言う。
タイムリミットぎりぎりになってきた。いつものパターンだ。
ご飯を少々残した食堂での夕食の後、個室でわたしの夕食のおかず、
玉ねぎのカレーマリネ、ほうれん草・ホタテ・コーンのサラダ・春菊のおかかお浸しを一緒に食べる。
東京都の美味しくない水道水しかない環境で、お茶もまずい、コーヒーもまずい、は気の毒だと思い、
我が家の特別な水を別途注文したので、土曜日に到着するからね、と伝え、19時18分のバスで帰宅。
明日から3日は仕事。会える時間も短い。
昨日は21時までの勤務だったので、3回の電話でおしまい。
自宅に直帰。洗濯物をたたんで、本を移動して、焼酎お湯割り3杯でお休み。
今朝は、書斎本棚を空っぽにして、ノルウェイ語の本 段ボール8箱は大阪の倉庫に預ける、
もう読まない本、段ボール6箱はブックオフに下取り依頼、が取りに来る。
午前中を指定したのに、両社とも来たのは昼直前、で超バタバタしたが、その後我が家はスッキリとした。
組立式の押入れ箪笥を注文し、それを組み立てるための便利屋(何でも引き受ける日本独自の業種だろう)
を24日12時に依頼した(二人で2時間1万3千円と、本棚2棹、食器棚1棹処分が1万円。
(区役所粗大ゴミ課に問合せ、1棹1500円との事だが、分解不可能で一人ではゴミ置き場まで出せない)。
書斎の本棚部分にそれを配置し、家中の雑多なもの(釣り道具・スーツケース・着物など)を収納予定。
介護用品のネットショップで、お風呂用手すりや椅子なども見つけた。
帰宅準備万全で、あとは卓文さんの自覚の問題だけ。
だが本日の会話でも、自覚が足りない、と感ずる。3年前のぎっくり腰のあとと同じような認識で、甘い。
足の機能さえ元に戻って歩けるようになれば、以前と同じ生活パターンに戻られる、と勘違いしている。
自分の頸動脈がどういう状態か、脳梗塞を再発させないためにはどういう生活をしなくてはいけないか、
という自覚が全くない。タバコに対する未練もまだまだなかなか消えない。
明日は残業要請で11時~21時の10時間労働。当然病院には行けないので、3日分の着替えを持って病院へ。
渋滞は全くなく、定刻通りに出発のバス。ただし通勤帰りの人でバスはほぼ満員状態。
春の花見シーズンによる、土日のみの渋滞だったようだ。
病院に到着するとちょうど夕食時間。
魚の『木の芽』(つまり山椒!)焼き、野菜の柚子和え(柚子だって!)と、
労災病院の塩醤油ソース砂糖、とは雲泥の差の調味料。酢の物も多い、と卓文さん。
(労災病院では酢の味がなく、酢を自宅から運んでサラダなどにかけていた)
昨日の昼食には、なんと、カツオのたたきまで出たそうな(病院食で生魚って初めて聞いた)
魚の切り身の腹骨は全部取り除いて提供されている、と卓文さん。
(卓文さんは箸が使えるからそうではなくてもよいが、機能が不自由な人にとっては貴重な配慮)
実際、卓文さんの向かいに座った若い男の人は、利き手の右が不随らしく、左手でスプーンで食べていた。
こういう人には大切な配慮。
キーボードを持参し提供。今の1回の練習は、2ヶ月後の7回の練習に匹敵するのだから、毎日3回ね、
と、基本のAAA SSS DDD FFF みたいな練習を指示した。(眞知子作成教本提供済)
小指、薬指が怪しい。
早朝出勤のため15時で終了。そのまま野毛の世田谷記念病院に向かう。
バスも順調で、16時到着。たしか昨日渡された予定表では16時11分まで訓練、間に合うかな、と病室へ。
すると卓文さんは5階の廊下で歩行器による歩行訓練の真っ最中だった。
おお!! 進歩 進歩。
(あとでわかったが、杖をついてのこっそり自主リハビリに気づいた看護師が、作業士と相談の上、
杖じゃ危ないからちょっと繰り上げて歩行器を許可しよう、ということだったらしい)
スイスゼロから『転院おめでとう!』のかわいい花アレンジが届いて、病室は一気に華やかに。
早速ゼロに電話でありがとう。
18時、廊下で夕食の準備の音が聞こえる。で廊下に出てみた。
食事ワゴン運ばれてきて、それぞれのお膳に名前が書いてある。その名札を見て驚いた。
『米70g 一口大丸むすび』(お皿に一口大の丸いおむすび5個)
『米△むすび』(お皿に小ぶりの△むすび4個)『唐辛子・わさび・辛子禁』『さわら禁』『いんげん禁』『グレープフルーツ禁』『小スプーンのみ』『パン粥NG』『ふりかけ禁』『とろみ要』などなど。
ひとりの名札に3~5行の注釈あり。薬の制約だけではなく、個々の好みや食べ方の問題もあるのだろう。
それにすべて対応して、全員が自分で食べやすい環境になるような料理を作っていたのだ。
なんという細やかな配慮、感動して病室の卓文さんにも伝えた。
ただし卓文さんは箸も使えるし、左手で茶碗も持てる。
シンプルに『米5(意味不明) 糖(多分糖尿病用減塩低カロリー食の意味)』の3文字だけ。
(だからか。献立表の『揚げ茄子の生姜あんかけ』が『大根と大豆のあっさり煮』に交換されていたり)
手のかからない患者、ってとこかな。
でも主菜副菜合わせて6皿もある。これは食事が楽しみになるね。
今夜20時に卓文さんリハビリ用キーボードが宅急便で着くので、早めに帰宅。
昨夜分と本日分の翻訳をタイピングしていると宅急便到着。ゼロ依頼のサムの分と2個を無事受け取った。
キーボードは明日持っていく予定。左手リハビリに励んでもらいましょう。
仕事帰りの初『野毛詣で』で、多摩川駅に着きバス乗り場に行くも、武蔵小杉方面への大渋滞のせいで、
18:15発予定のバス到着が、18:30 で病院到着18:45
土日のみの渋滞か、あるいは平日はもっと渋滞がひどくなるのか不明。
明後日の月曜日に試してみて、ダメだったら別のルートも視野に入れよう。
デンマーク語翻訳の二人三脚で、昨夜ワードにタイピングした2ページ分の原稿を持って行く。
次の2ページ分を受け取り、インスタントコーヒーと着替えと水を差し入れ、
どんなリハビリだった? の質問に、本日は本格的というよりは、まだテストや試験といった感じ、
新しい体験では、足の力を測る測定器で、右足はマックス50kgを振り切ったが、左足は25kgだった、
6分間に杖をついて廊下を往復して歩く、という試験があって、1往復半、160mだった、に、
(へ? 5分じゃなくてなぜに6分?)と思ったがすぐに気づいた。
×10で、1時間に1.6kmという事か。つまり時速1.6kmということだ。
普通の人間は時速4kmだから、能力的には半分以下。
でも脳梗塞患者のスーパースターである長嶋監督は、脳梗塞直後は近所の公園一周1.3kmを2時間かかった、
(が、7年間毎日かかさず歩いて、現在は17分で一周できるそうだ)
というから卓文さんはその半分近くで歩けたことになる。1ヶ月後、2ヶ月後、3ヶ月後、の進歩が楽しみ。
21時消灯まで、翻訳をしたそうな卓文さんの様子を見て、19:48のバスで帰宅。
スイスママとのおしゃべりが1時間に及んで、本日翻訳二人三脚は中止、明日の夜しよう。
明日は早朝出勤。そろそろ寝ます。
昨日は病室で、保険の書類が見つからず、あらら自宅に置き忘れたかと帰宅して探すも見つからず、
慌てて電話し、卓文さんが病室の冷蔵庫の横にストンと落ちていたのを発見してくれた。
午後の面会時間、定番のドトールコーヒーもこれが最後だね、と満喫し、
転院先は喫茶室もないから、インスタントコーヒーを準備するしかない、と話す。
面会時間終了後、転院日決定おめでとう、と先日ひとりで祝杯をあげた焼き鳥屋に入り、
このお店も最後だな、明日からは世田谷区野毛通いの日々になる、とハイボールで乾杯した。
本日は忙しい。転院の日だ。
書類提出、会計、着替え、荷造り、で13時に福祉タクシー(車椅子のまま乗る)が迎えに来る。
第三京浜を一気に走り、多摩川を超えたとたんに病院が見える。
卓文さんは到着後すぐに各種検査。私は入院手続きをしてから514号室へ案内される。
労災病院は18360円、ここは10800円の差額ベッド代だが、
こちらのほうがぐんと綺麗でバリアフリーでトイレ電気もセンサー自動点灯で手洗いはお湯が出て
テレビも大きくて壁掛けで収納もいっぱいで事務デスクと椅子もあり仕事もできる、と申し分なし。
検査が終わった卓文さんが病室に帰ってくると、
次から次へとそれぞれの担当者が来て、挨拶がてらのテストやら検査やら。
みんな感じ良く熱心、やる気満々が感じられ好感度マックス。
5階専属の内科医は2人態勢で、日中は常駐している。
血液検査の結果も詳しく解説、状態を見て薬を調整する旨の説明あり、卓文さんはイタく納得。
最後に歯科衛生士による歯の検査まであった。『まぁ、すべて自分の歯、立派です、揺れもない』
で例えば果物も、大カット、こま切れ、ムース状など、同じ献立でも変わるらしい。
これにはさすがの私も驚いた。ここまで至れり尽くせりの病院はあまり知らない。
初の夕食を食堂で摂ってきた卓文さん『丁寧な料理だった、労災病院とは雲泥の差』と満足げ。
と、まずまずの再スタートを切った。明日からのスパルタリハビリがどう出るか。