31  March

午前中は介護用品などの宅急便を受け取りがてら自宅の整頓に専念、12時に予約した美容院へ。

その後、保険請求に必要な診断書を受け取るべく労災病院へ行く。

(電車は効率が悪いので、美容院から自転車で頑張って30分で到着)。

行きは向かい風で30分だったが、帰りは追い風で20分。良い運動だったが膝が少々痛くなった。

それから病院へ行き野菜料理を差し入れ、残りは明日食べてね、次に来れるのは3日後、と通達。

明日からの4月前半のシフトはハードな日程の仕事、ほぼ12時間労働の日が続く。

その代り4月後半はほとんど仕事がないシフト(たった5日)、これは卓文さん退院を想定してのシフトだ。

私の要望に対し、労働時間をキープ(ある程度以上の収入になるよう)しながらも後半に休みを多く取って、

というようなシフトを作ってくれる、今の職場のこういう融通性は本当にありがたい。

この想定どおり、今月後半に退院できることを祈る、願う。

30 March

大変! 大変!

勤務先から病院に行ったら、主任療法士の伊藤先生が病室を訪れ、

『4月前半に帰宅訓練をしようと考えていますが、いつが都合よいですか?』

で、わたしの休日を伝えたところ、4月6日に実施、となった。

あと1週間だ。休日は明日を含め、2日しかない。

改造は全部完成(家具の固定など)させる必要はないが、整理整頓清掃は完成させておく必要がある。

(妻および主婦としてのプライドの問題)

着々と完成には向かっているが、まだゴミ袋の山、段ボールの束、どこかに隠さなくてはいけない物など、

本来我が家の中には【あってはならないもの】が、たくさん床に転がっている。

ひょえ~~~猛ダッシュで頑張らねば。

 

『帰宅訓練』というのが、私の認識とは少々違っていた。

本人の適応能力を確認するために、

病院から出てバス停まで歩いてバスに乗って電車の駅まで歩いて電車に乗って降りて歩いて自宅に着く、

という練習かと思っていたが、それは、別の機会に社会復帰訓練としてするのだそうだ。

自宅入口までは、タクシーで行って良く、そこから自宅に入るまでの段差の克服が可能か、

そして自宅内の段差の調査をして、必要な場所に手すりを付けるなどの指導を兼ねているそうだ。

要するに、卓文さんが退院後安全に自宅内で過ごせるような改造提案をするための自宅内環境調査、

という意味合いが主たる目的のものだった。

だから、『帰宅訓練』が早まったから、即退院の時期が早まった、ということではない。

が、自宅の状態は退院後の状態と同様なものになっていなくてはいけない、ということらしい。

今夜はこれで寝るが、明日午前中は猛ダッシュで自宅内整理整頓清掃をがんばる。

お休みなさい。

29  March

大丈夫。

卓文さんは、ちゃんと解っていた。

ただそれをそのまま受け入れたくなくて、だだをこねていただけだった。

リハビリ最先端の『川平法』の本(私がネットで取り寄せたもの)も熟読し、日々の自主トレに生かし、

正しい歩行の困難さ、それを習得するための訓練の継続の必要性もきちんと把握していた。

キーボードによる左手の訓練も自主的に行っている。

『わかっちゃいるけど、言いたいのよ~~』

という部分なのだと、昨夜と本日の会話(翻訳が終わったので、リハビリの話に特化)で理解した。

『あなた、認識が甘すぎるっ!!』

と怒鳴らなくてよかった、と内心思う。

思うように動かない自分の左足に対する憤懣を誰にもぶつけられなくて、それが出来るのは私に対してだけ。

だからそれを受け止めて、理屈の合わない繰り言を聞いてあげるのも私の仕事。

美味しい差し入れをして、そういううっぷんを聞きながら、にこやかに接する。

それが私の役目だろう。

27 March

この病院は、全個室。4000円という部屋もあるらしいが、それはほんの数室。

ほとんどが10800円と16200円(川沿いの部屋で景色が良い、というだけの理由)だから、

月に、保険の効かない30万円以上の差額ベッド代を払える人種(というか家族)だけが入れる病院だ。

だから入院患者も、訪れる親族も、なかなかに品が良い。

スイスママのレジデンスと同様、顔を合わせる人種の選択肢は、重要だ。

 

第二候補だった新横浜リハビリテーション病院は、個室も多いが、4人部屋や6人部屋もあった。

リハビリコーナーには雑多な人種がいたが、少々汚らしい、受け入れがたい人々も多かった。

一日をそこで過ごす以上、行儀の悪い、品のないそういう人々と同一の所で訓練をしなくてはいけない、

というのは、やはり人間の尊厳や自尊心がかなり傷つく。

そういう意味では、この病院はとてもラッキーな環境と言える。

労災病院ではそういう選択肢が全くなかったから、ゲホゲホ咳とかガガーッペッ痰吐き人種とか、

卓文さんの感性では許容しがたい雑音に悩まされたが、

この病院では、廊下をすれ違う時も『お先に。お休みなさい。歩くのが随分滑らかになりましたね。』

などと言ってくれる品の良い老女の先輩患者、

見舞に訪れる家族の身なりもきちんとしていて、『今晩は』『お先に』など挨拶もそつなく、

親しくなった、スポーツジムでの転落による脊髄損傷で右手不自由の倉橋さんの奥さまも、

愛想よく、品の良い話し方で、野卑な人種は皆無、だから卓文さんの逆鱗に触れる事柄は少ない。

これもストレスになるから、そういう意味ではありがたいのだが、卓文さんにはそこまでの認識はない。

食事内容への不満と、意義を感じられない訓練(と卓文さんは感じている)に辟易として、

一日も早く退院して、私と一緒の自宅での生活を再開したい、が充満している。

 

でも、機能的にはまだちょっと無理。専門的なリハビリが継続的に必要と思える。

二言目には出てくる『ぎっくり腰とお尻の手術のあとも、最初はヘンな歩き方だったが、徐々に良くなった』

とは、根本的に機能の回復(今回のは『回復』ではない 『進化』だ)が違う。

ぎっくり腰の時の故障は、腰、そしてお尻の痛み、それが解消されれば、両足の機能は全く問題がなかった。

2ヶ月近くの歩行困難による筋肉の衰えさえ回復すれば、脳は68年間使っていた『歩け』の指令を出せた。

今回は、歩くことを忘れた『赤ちゃんの足』に歩くことを覚えてもらわない限り、以前のようには歩けない。

それを認めたくない気持ちはわかるが、これはそんなに簡単なことではない。

26  March

翻訳が無事「脱稿」したのでリハビリに専念、の心境になった卓文さんが、少々イライラし始めた。

理学療法士伊藤先生への信頼は篤いものの、彼以外の(特に新米療法士・看護師)の未熟さに不満がある。

1日に40分1単位の理学療法(主に歩行訓練)が3回、作業療法(主に左手訓練)が1回だが、

伊藤先生が担当しない、新米による訓練が今の自分には不要と感じている。

『病院内のような平らで安全な場所で、より一層健常者に近い動きを、なんて訓練は自宅で出来るよ。

40分が3回でしょ、たった2時間だよ、それもあまり意味のないような練習ばっかりでさ、

だから、入院している意義を感じられないんだよ。

3日後に退院しても、このまま入院を継続して訓練しても、あまり効果は変わらないような気がする。

もっと過酷な、階段とか外に出るとかの条件での訓練をして、早く退院できるようにしたいんだよ。』

確かに患者のほとんどは老人で、『自宅内で、より安全に、より確実に、自分のことはすべて自分でする』

が最終目標だから、卓文さんのように社会復帰を目指して、悪路の外界を歩く訓練や、バス・電車の乗降、

というような訓練よりも、室内でのより完全な動きを求めた訓練が多いのは事実だろう。

 

ただ、これはスポーツと同じ。

いかに基本を繰り返し繰り返し繰り返し、衰えた筋肉と新しい脳に徹底的に焼き付けて、

どんな変則的応用バージョンに襲われても、基本を崩さないだけの『焼き付け』が必要なのだ、

と私は考える。

ヴァイオリンしかり、スキーしかり、ゴルフしかり、だ。

テクニックを伴ったスポーツ経験のあまりない卓文さん

(唯一の趣味が登山、ノルウェイ時代にノルディックスキー)には、きっと理解しにくいだろうが、

これはやはり『急がば回れ』の、徹底した『基本』の繰り返しが必要なのだと思う。

 

室内での、コーヒーを入れ、ごみを捨て、という動作(これもリハビリだから私は一切手出ししない)は、

ほんの数歩だから、と杖も使わず歩く卓文さんの足取りを見る限り、決して満足できるものではない。

歩行器を使っての『歩く訓練』の時には、意識して左足を大げさに動かすので、充分訓練にはなっているが、

室内での動作は完全に『身障者』のそれである。

自宅に帰れば、当然ほとんどの動作が『室内』感覚になってしまうだろうから、訓練にはならない。

その部分が全然分かっていない。

また、自宅に帰ったとして、今のような歩行器(レンタルで月/数百円で借りられるが)を使って、

毎日2時間以上の訓練をするか、というと、それにも大いに疑問がある。

 

ともかく、伊藤先生に『外を歩く訓練をしたい、階段乗降の訓練をしたい』と訴えて、

一日も早くそういう訓練に移行できるようにお願いをする、という提案をして、帰ってきた。

24  March

昨夜仕事帰りに病院へ。なんと! 頑張って翻訳は全部終わっていた。予定通りで素晴らしい。

では代書終了17枚の校正に入ってね、私はこれを代書屋するから、で早めに帰宅。

2週間ぶりに九州へ電話し、かおるさんにリハビリ経過報告。

の後、最後の3枚をせっせと代書した。

 

本日午前中は、押入れ箪笥到着とお掃除本舗見積り、昼に便利屋到着で箪笥組立と不要家具引き取り。

2時間後、我が家はスッキリクッキリピカピカの直前状態。

ゼロからの見舞金が生きる。感謝。

 

理学療法士の伊藤先生が、股関節の動きが悪いから、とそれを拡げる運動を促進してくれたら、劇的に改善。

今までの訓練時にあったような痛みもなく、補助器具も不要で、

補助器具使用時より快適に左足を動かせる、と興奮状態の電話あり。

実際に行って見たところ、補助器具を着けていたのと同じような動作で、補助器具なしで歩行している。

国家資格の「理学療法士」を持った、同じ人が入院から退院までずっと担当してくれるというのは、

素晴らしいシステムだ、と昨晩のかおるさんも言っていた。

卓文さんの癖や理解能力をきちんと把握して、もっとも適切な方法を取ることができる。

卓文さんの、理学療法士伊藤先生への信頼度は高い。

「膝には大きな筋肉ひとつの他に、補助する筋肉が4つあって、その機能が弱っている」

など、論理的にきちんと説明してくれるから自主リハビリにもそれを生かして訓練できる、と満足げ。

良い病院を見つけたものだ、と改めて出会いの妙に感謝の気持ちが湧いた。

 

翻訳の最後の締めに、ふたりの共同作業が必要、と外泊願いを出すも、あえなくNG。

諦めて原稿を近所のコンビニでコピーし、同じものを二人で共有し、不明点は電話で確認しあう、

という方法にして私だけ帰宅。夜10時半、完成した。

明日の朝、2ヶ所の確認の後、翻訳センターへメールすれば終了の予定。

22  March

翻訳が佳境を迎え(間に合うか、間に合わないか、のギリギリということです)

差し入れもままならず、原稿を持って病院へ。

昨晩から頑張って翻訳した原稿3枚を持って帰宅。明日までに全部終わらないとタイムオーバー。

でもギリギリ間に合いそうなスピードでひと安心。

病院の帰り、携帯を病室に置き忘れた、とバスの停留所から戻ったら、自主歩行訓練の真っ最中だった。

出会った作業療法士が、「私の出会った患者の中で一番熱心な人です」とのこと。

川平法の本が参考になっているようだ。理論的に納得がいけば努力する卓文さん、佳きかな。

明日は翻訳完成を目標に頑張る予定。

 

21 March

本日は月曜日。発症5週間目だ。午前中にトイレの収納棚到着予定が、11時50分着。

それからDIYのお店へ金具を買いに行き病院へ。

野菜・豆腐・調味料など大荷物を持って。本日の作業療法で、卓文さんは調理をする予定なのだ。

行ってみると翻訳も頑張っていつもより多め。よしよし、間に合わせようね。

夕方調理実習の卓文さん、意外なことが出来ない。

包丁で切った野菜を、右手の包丁と左手で寄せてボールに移す、

出来上がった料理のボールを左手で持って、右の箸で器に盛りつける、

が、うまくいかない。ゆらゆら、力が一定でない、が原因か。

自室でのタイピングは、だいぶ上手になっていた。左手の形が正常に近い。

最初は力が入らず、パーみたいに開いていた指が、こんもりと丸まったまま打てるようになっている。

AAA と SSS も迷わずにできる。よしよし、この調子、今の1回は2ヶ月後の7回に匹敵、頑張れ。

理学療法では、足に補助器具を装備し、外の公園まで歩く。往復200mか。

病院内の平らな廊下での歩行とは打って変わって、傾斜や石畳がなかなかの障害。

15分の歩行でかなりの疲労。これではまだまだ、歩いて出勤、というわけにはいかないだろう。

そのへんは本人も、大分自覚してきたようだ。

退院後の楽しい散歩、に上手にスライドさせるのが、私の工夫のしどころか。

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